『LIVE 1991 TOUR AWAKENING』 セルフライナーノーツ
LIVE 1991 TOUR AWAKENING / 高野寛
1.虹の都へ 〜 ベステンダンク
2.Playback
3.アトムの夢
4.友達について
5.Outsomnia〜人形峠で見た少年
6.MC
7.幻
8.夜の海を走って月を見た〜こだま
9.Our Voices
10.エーテルダンス
11.紳士同盟
12.Energy Clock〜I.O.N.
13.テレパシーが流行らない理由〜てにおえ
14.Smile〜Proteus March〜目覚めの三月
15.かならず
16.カレンダー
17.See you again
エッセイ『1991年・あの頃のこと』 高野 寛
引き出しの中から、古いテープ(DAT)が出てきた。「1991.6.10.長崎平和会館」と書いてある。曲目はない。この中身を取り出すところから、32年を遡る時間旅行が始まった。
断片的なネット上の情報をつなぎ合わせて、1991年の『TOUR AWAKENING』長崎公演、日付は書き間違いで1991年7月10日、ということは確定できた。
『虹の都へ』『ベステンダンク』ヒット後、4枚目のアルバム『AWAKENING』の満を持してのリリースツアー... だが、あの頃の記憶が薄い。とにかく忙しすぎた。起きている間はほぼ音楽に関することしかできなかった。デビューしてからの2年半ほどでアルバム4枚を録り、必死に休みなく働いていた頃。元々体力のある方ではないので、仕事を終えたらとにかく寝る。録音を終えると、宣伝。録り終えたと思ったらすぐに次の曲を創る。ヒット後は忙しさに拍車がかかった。そのあたりのことは、デビュー30周年の時に書いた自伝的エッセイに詳しい↓
ツアー中の歌い手は、スポットライトを浴びる華やかなステージ上とは対照的に、地味に過ごす必要がある。あの頃はほとんど酒も飲めなかったので、終演後の打ち上げはビール一杯だけ飲んでしっかり食べて、二次会へと盛り上がるメンバーを横目に、ひとりホテルに戻って休み、次に備える。そんな毎日。
ツアーってやつは、移動以上・旅未満の特殊な経験だ。基本、ホテルとライブ会場(と打ち上げ会場)を、送迎されるままに転々とする。最も多忙だった頃のこのツアーの記憶は、断片的に残っているだけ。たとえば桐生公演の時に泊まったホテルが「きのこ会館」という名前だったこととか、最終日の新潟の打ち上げで悪ふざけが始まって、飲めないくせに焼酎のロックをジョッキで飲む羽目になり、人生最初で最後、居酒屋で記憶を失い翌日も結構ヤバかったこととか。
30年以上前の自分は、もはや他人のようなもの。音を聴くまで、セットリストもすっかり忘れていて、完全にまっさらな気持ちで聴き返せた。音が出てきた瞬間、「おぉっ!」と声が出た。
何度か聴くうち、あの頃の想いがタイムマシンみたいにじんわりと蘇ってきた。時を越えて対面した26歳の自分は、なかなかのクセモノで、そして頑張っていた。ツアーで磨き上げた、細部まで凝りに凝ったライブアレンジ、ほとんどノンストップで攻め続ける構成。バンドやスタッフとの阿吽の呼吸が、音の端々に漂っていた。
客席の7〜8割が女子だった光景はツアー全体の記憶として覚えている。それまで自分が足を運んだライブ会場にはなかった雰囲気。半ばアイドル的な喧騒に塗れる日々。戸惑いは隠せなかった。そういえば、去年発売された「高橋幸宏 IT'S GONNA WORK OUT ~LIVE 82-84~」を聴いて、攻めまくっている尖った音楽性と、飛び交う黄色い歓声(というか絶叫)の対比に驚いたのだけれど、古今東西、女の子の音楽へ向かうパワーは凄い。
今、客観的にプロデューサー目線で録音を聴き返すと、ブレイクした波をうまく乗りこなせなかった自分の不器用さも見え隠れして、少し歯がゆく思う。たとえばライブの冒頭に、ヒット曲2曲をメドレーで演奏してしまうセットリスト... 「ちょっと出し惜しみして後半でやれば、もっと盛り上がるのに。お客さんの気持ちになれよ!」と、声を大にして言いたい(笑)。でも当時の自分にとっては、それが最新曲にかける意気込み、そして自分の記録を更新したいという挑戦だったんだと思う。
今回、軽い挨拶を2箇所割愛しただけで、MCはほぼカットしてない。アンコール含め22曲。そしてメドレーが多いのは、アルバム『AWAKENING』の構成を模した結果。擦り切れるほど聴いてきたXTCの『Skylarking』のA面、ビートルズ『サージェント・ペパーズ』や『アビーロード』からの影響か。
そして、やたらに熱量の高いフリーキーなソロも含め、結構ギターを弾きまくっている。ちなみに、M-7のMCの中で披露されるホースと口笛による唐突なパフォーマンスについて。MCで「アマチュア時代にこういうことをやっていた」と言っているのは、1度だけやったことがある即興のソロパフォーマンスのこと。嘘ではないけど、「自分はただのポップシンガーじゃない」っていうことを懸命にアピールしたかったんだろう。あの頃は今の10倍は天の邪鬼だった。記憶の中では、お客さんがドン引きしていた印象だったけど、今回の録音を聴く限りは案外ネタとして好意的に受け止められていたのかもしれない。ちょっと安心した。
アルバム『AWAKENING』レコーディング時には、当初『Gentle Rock』というタイトル案もあって、「ポップスからの逸脱」が、ひとつの目標だった。それでもアルバムは宅録的手法で録られているので、そこまでロック然とした雰囲気もない。スタジオ録音では表現しきれなかった自分なりの「ロックスピリット」やバンド感が、このライブ音源にはみなぎっている。あの時思い描いていた理想の音は、ツアーで形になっていたんだと、30年経って今更気づいた。
ツアーも終盤に差し掛かった時期、現場でしか培えない流れを感じる。デビュー当時から一緒にやってきた矢部くんと岡本さんに僕も加えてトリプルヒロシ+堀越さんの4人を中心に、実はアマチュア時代に一度共演したことがある沖山さんと、歌えるマルチインストゥルメンタリスト・水谷さんを加えた鉄壁のバンドアンサンブル。打ち込みを駆使して作った遊びだらけの原曲アレンジを、どうにかして人力で再現するバンドの完成度とオリジナリティ。デビュー当時は自信を持てなかった歌にも力強さがでてきて、「これがやりたかったんだよ!」という想いが音に詰まっている。
90年代前半の正式なライブ音源は、レーザーディスクとビデオで発売された『BESTEN DANK TOUR』以外現存しない。今回のライブ、たまに歌がおぼつかないところもあるが、それも記録として残した。当時のファンはもちろん、初めてのリスナーにも多く届いてくれることを願って、この音を世に放ちます。
【全曲解説】
1.『虹の都へ』〜『ベステンダンク』:
メインディッシュをド頭にもってくる無謀かつ濃厚なコース料理は、この2曲で幕を開ける。ちなみに当時の雑誌で『蛇の都へ』という誤植が本当にあった。それぞれ3rd『CUE』と4th『AWAKENING』に収録。
2.Playback:
1stアルバム『hullo hulla』収録。ギターソロは僕が弾いてる。
3.アトムの夢:
2nd『RING』収録曲。アルバムではテクノポップ的だったけど、このライブバージョンはXTCっぽいギターポップ。このアレンジもかなり完成している。90年代前半、僕の周りのミュージシャンたちにとってXTCとプリファブ・スプラウトはかなり大事なアーティストだった。
4.友達について:
3rd『CUE』収録。宅録的に音を少しずつ重ねて録音したアルバムのバージョンと違って、バンドサウンドのダイナミックなアレンジ。
5.Outsomnia〜人形峠で見た少年:
1st『hullo hulla』収録曲〜3rd『CUE』収録曲。タイトルは「Insomnia」=不眠症のINをOUTに反転した造語。今調べたら、「過眠症」は「hypersomnia」というらしい。このライブバージョンは当時流行っていたマンチェスター・サウンドっぽいアレンジ。
『人形峠〜』は、かつて天然ウランの採掘や精錬が行われていたという岡山に実在する地名からインスパイアされた詞。イントロ/アウトロのギターは僕と堀越さん二人で弾いている。間奏はちょっとプログレっぽいドラムソロをフィーチャーしたアレンジに続いて、僕→堀越さんと続くギター・ソロ。
6.MC :
冒頭の「創るための音楽・壊すための音楽」って、何を言おうとしてるのか今の自分にはよくわからなかったな(笑)。若いって自由だ。後半口笛でやっている『ソコニイルノハ』という曲は、大学時代のカセット音源にも残っている。カセット音源の方は、空き瓶を吹いて演奏した記憶。下のリンクで聴ける。
7.幻:
3rd収録。この曲もリフや転調にXTCの影響が色濃い。
8.夜の海を走って月を見た〜こだま:
1st〜4th収録曲を繋ぐメドレー。『夜の海〜』はデビュー以来ずっとやり続けてきて、完全にライブバンドバージョンとして別物になっている。オリジナルより熱量高めなアレンジ。『こだま』は、以前から好きだったアンビエント的なサウンドとバンドサウンドの融合。岡本さんのオーバーハイムのシンセパッドが気持ちいい。イントロとアウトロで聞こえるクリック音はイルカの鳴き声のサンプリング。
9.Our Voices:
4th『AWAKENING』収録。「音に憧れてたあの頃は 夢を食べることと創ること」という歌詞は、宅録三昧だった大学生の頃のこと。
10.エーテルダンス:
『AWAKENING』収録。5thシングル『ベストテンダンク』(この誤植も時々あった)じゃなくて、『ベステンダンク』の両A面曲。ちなみにCDはトッド・ラングレンプロデュースで日本で録音、ドラムは高橋幸宏さん、ギターは大村憲司さんだった。
11.紳士同盟:
『AWAKENING』収録曲。1991年の録音期間中、ずっと湾岸戦争の只中のアメリカにいたため、その影響の色濃い歌詞。詳しくはここに↓
12.Energy Clock〜I.O.N.:
『AWAKENING』収録のインスト〜『CUE』の1曲目へメドレー。間奏の噛み付くようなギターソロは僕。サンプリング音のパーカッションは水谷さんが手動でサンプリングパッドで演奏していた。『I.O.N.』間奏のソロは、堀越さん⇔僕の掛け合い。アマチュア時代、デビューのきっかけを掴んだオーディションで演った曲が元になっている。↓ここで聴ける。
13.テレパシーが流行らない理由〜てにおえ:
『AWAKENING』収録曲のメドレー。『テレパシー …』のイントロのトークボックスっぽい音色のリフは、僕がZOOMのエフェクターを通してギターで弾いている。ライブバージョンのファンキーさは、当時伝説的ファンクバンド「VIBRASTONE」のメンバーでもあったベースの沖山さんのグルーヴに依るところ大。『てにおえ』僕がエレキギター+ワウペダル+スライドで猫の声をリアルタイムで演奏してるのは、大学生時代のマイギターヒーロー/エイドリアン・ブリューの影響。間奏のギター・ソロはぐわんぐわん回ってる。
14.Smile〜Proteus March〜目覚めの三月:
同じく『AWAKENING』収録曲のメドレーで、本編の幕を閉じる。『Smile』の矢部くんのドラム、スネアの音色最高だな。でもってこの曲もXTC的、ギターソロはトッド・ラングレンの影響もある。凝ったエンディングのキメに続く『Proteus March』主旋律のギターは僕。行進曲のマーチと三月の「March」を引っ掛けて。『目覚めの三月』は『AWAKENING』のタイトル曲的存在。当時の最新シングル。ライブならではの高揚感。
15.かならず:
以下アンコール。後に5th『thanks』に収録された曲を、このツアーで先行して披露。この時期、忌野清志郎さんと一緒にアコギで曲を創りあったことがあった。その時、この曲の原型を聴いてもらって、サビ最後の裏拍のキメのアレンジを清志郎さんが考えてくれたことを、今思い出した。
16.カレンダー:
『RING』収録曲。アルバムは小林武史さんとの共同プロデュース。「印をつけたカレンダーだけが〜」の大サビは、武史さんの提案で新たに書き加えたもの。
17.See you again:
デビュー曲。アルバムに残された拙い歌から3年ほど経って、やっと自分の声が出来上がってきた頃。
最後に、このツアーを作ってくれたバンド、スタッフ、そしてツアーに来てくれた皆さんに、改めてベステンダンク!と言わせてください。
この「サポート」は、いわゆる「投げ銭」です。 高野寛のnoteや音楽を気に入ってくれた方、よろしければ。 沢山のサポート、いつもありがとうございます。