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【備忘録】『93歳のゲイ』

『93歳のゲイ』の雑感。先月95歳で亡くなった長谷部さん。映画『94歳のゲイ』の元となったドキュメンタリー。ハンセン病と非常に似た読後感であったが、同性愛が病気だと誤って解釈され流布された時代。今よりはるかに差別や偏見がひどい時代。欧米では同性愛が犯罪だった時代。そうした時代を生き抜いた一人の男性の内面にせまる。内面で起きる葛藤をのちに俳句を通して、小説を通して、社会に対し発信してゆく。すべての自由が奪われても、自分の内面だけは自由であり、決して誰にも邪魔されない。これは、アウシュビッツやシベリア抑留の体験者の手記にもあらわれる。長谷部さんも、偏見や差別で身動きが取れない社会の中で、内面を磨き、精神世界を広げていった。  

繰り返すがドキュメンタリーで映し出されるのは「内面」である。人の内面というのは、知るのは難しい。そこを映し出すのが、このシリーズの素晴らしさ。多くの性的マイノリティーの方々が、社会の常識や普通ということに対し、自分は違うのだと、異常なのだと苦しんだ。もし社会に「みんな違ってみんないい」という多様性を認める風土や制度ががあれば、少しも苦しむことはないのだが、それがないので苦しむ。そして、何より吐露したいのだけどできない。吐露できないことに苦しむ。

1971年の男性の同性愛者向け雑誌『薔薇族』が創刊するまで、ネットなどもちろんない時代、都心の繁華街にいた人以外は、そもそも同性愛者と出会う場がまったくなかった。吐露できる場がないので、出会う場もない。『薔薇族』の売れ行きや出会い掲示板の量でやっと顕在化したのである。

ただそれは性的マイノリティーの一部である。LBGTQ...と続くうちのGだけである。それはまるで、円周率をただ3.14と書くような理解であり、全貌にも本質には到達していない。だが、その一歩により明らかに社会は変わった。見えないものが、見えてきたことにより、さまざまな当事者が声を上げやすくなった。「同性愛は病気じゃないんだ」「苦しんでいるのは自分一人だけじゃないんだ」その結果、社会が変わっていったのであると理解する。当事者が声を上げやすくする場をつくる必要がある。

前回のパートナーシップ制度に反対する参考人の意見聴取、同性婚や選択的夫婦別姓に反対する議員と議論した時にも感じたことなのだが、彼らが口を揃えていうのが「当事者がそもそも必要としていない」「そっとしておいてほしいと言っている」ということ。彼らに「このドキュメンタリーを観なさい」と一言、言ってしまえばもう済む議論であるが重要な部分を書いておく。

まず、性的マイノリティーというのは、他のマイノリティーと決定的に違うことがある。それは外からわからないということである。性自認と性的志向、特に性的志向は隠し通すことができる。それが世間からの理解が難しいところ。歩けなければ車いすや松葉杖、見えなければ白杖など障がいある方は、一目でわかる。精神障がいなどもあるが、多くは隠し通すことができないであろう。隠し通すことができないので、人の理解が広がり、それを助ける人が増え、社会を動かすことができる。だが、性的マイノリティーというのは、隠し通すことができてしまう。それが当事者を苦しめる。わかってもらえない苦しみ。当事者のカミングアウトのみが、人に伝える手段となる。

そうなると大切なのがカミングアウトのしやすい社会をつくること。それを受け入れる側の問題。「アライ(ally)」であることの大切さ。性的マイノリティーが、勇気を持って声を上げる際に、いったいどういった人に相談するか?はっきりと言っておきたい。それは偏見に基づく主張をしている、一部を全部と理解している、制度に反対しているあなたのような議員でないことは間違いない。だからあなたに声は集まらないし、だからと言って「自分の周りには困っている人はいない、聞いたことがない」というのは、声を集める努力がそもそも足りないし、その姿勢自体が、間違っているということになる。

「私は、あなたがお困り事お悩み事をもし相談してくれたなれば、絶対にそれを否定したり、差別したりしません。そして、あなたのために私ができることは協力したいと思います。生きづらさがあるならその解消のために最善の努力をします。だからお困り事お悩み事ございましたら、いつでもなんでもご意見ご要望をお寄せください」このような発信をしている人に、人は集まる。ヘイトや差別と取れる発信をする人や態度を取る人、組織、政党、団体に、いったい誰が相談したいと思うのでしょうか。もはやイデオロギーの問題ではありません。マーケティング調査のイロハを知っているかどうかの問題。なぜそうした解釈になるのか、不思議で、不思議で、残念で、残念でなりません。当事者の声の母数が圧倒的に少ない中での判断であり、話になりません。

政治には、外交や安保を除くと、大きくわけて「お金の分配」と「価値の分配」という2つの機能があります。「お金をどう集めて、誰にどのくらい再配分するか」これが1つ目。もう1つが私の造語ですが、価値の分配。誰の権利を認め、どう保障していくかなど。こちらは最低限の行政コストはかかりますが、お金の分配ではないので、さほどお金はかかりません。お金には限りがあります。限りがあるのだから、優先順位が必要です。それを規定する、判断基準となるのが、価値です。価値は、分配の優先順位の決定に大きな影響があります。いったい誰の立場を代弁し、誰を助けるのか。

誰かの我慢の上に成り立つ社会は、長続きしない

改めて、働く人の立場、生活者視点、そして弱い立場の人の声を聴き、政治に届ける。その想いを強くいたしました。

最後に。お困り事お悩み事あればいつでもご意見ご要望を高野はやとまでお寄せください。あなたの抱えている問題が、他の誰かが抱えている問題でもあり、多くの人を助けることにつながります。

高野はやと@江東区