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何事も「当たり前じゃないからな!」
こんにちは、今回は僕が上海に移住する前の幼少期のお話をしたいと思います。
僕は小さい頃はワガママで世話の焼ける子供だったそうだ。
兄がサッカーをしてる中僕はじっとしてられずすぐにどこかへ行ってしまったり、またあるときは目を離したらすぐ兄の友人にちょっかいやら悪いこと言ってしまう。
常に親のどちらかがそばにいてく他状態であったw
僕は年長になった頃一年生に混ざってサッカーをしていた。
それは兄の影響でもあると思う、気づいたらなんでも蹴るのが好きでした、石ころだったり、小さめのボールだったり。
サッカーって楽しい!
そう思ったのも小2まで。。
小2ぐらいからは楽しいよりは辛かったと言う記憶が多い。でもその頃を振り返るとものすごく感謝している、なぜならそれが今の自分のベースの一つだからだ。
怖かった監督とコーチの言葉
それまでゴールキーパーをやってた僕だったが、親からは心配されていた。
なぜならある日、見ていたら僕がキーパーでは動きをしていたそうだ、そして母が近づいて見てみるとなんと僕はゴール前に線路を描きながら電車ごっこをしていたそうだ。
そんなことも笑って流されたのも2年まで。
学年が上がるごとに監督・コーチも代わっていた。
僕は普通にサッカーが好きだった、だから続けていた。
でも初めて辞めたいと思ったのもその時だった。
当時監督が一番怖かった。練習内容や口調などにものすごくビビって僕は一番下手だったが頑張って周りに食らいついた。
練習は毎週末、午前と午後に分けて練習していた。
グラウンドを何周も走ったり、近くの土手を走ったり(当時は恒例土手ダッシュと呼ばれていた)、普通にダッシュしたり。
僕の中ではボールを使った練習内容より、走っていた事しか今は覚えてないぐらいだ。
合宿先でも何か僕がミスを犯して走らされた
監督に
『おまえずっと走ってろ』
僕はいわれるがままに走っていた、泣きながら何もわからず。
そしてコーチが
『もういいよ』と言ってくれて終わった。
僕の中ではとにかく怖かった。
恐怖と圧力で指導してくる監督から逃げたい、、やめたい、、
またある時は同じ学校の子と同じチームに行こうかなとも思った。
とある日の練習終わりに監督が言った
「今こうやって練習できんのも当たり前じゃねぇからな!」
「親が練習場に連れてきてくれる、ご飯作ってくれる、練習させてくれる、全部当たり前じゃねぇ、勘違いするな。親がいてこそのおまえらだ」と
そうだ、やめたいと言った時ももうちょっと頑張ってみなと親は言ってくれた、僕は親の頑張りを裏切ろうとしていたのか思った。
それからわずかだが、小さい頭でも何事にも感謝をするようになった。
いつも来てくれる親、練習をさせてくれるグラウンド、また熱心に指導してくれるコーチ陣。
そしてその考えが上海に行っても、イタリアに行っても、どんな状況でも救ってくれた。
当たり前を捨ててみよう
僕は今でも思う。
今ある自分は当たり前じゃない。
もしあの時監督に言われなかったら今はまた違う自分かもしれない。
家族、仲間、友達、また環境や状況など。全部普通に身近にあるがそれは当たり前ではないと思う。
当たり前じゃないからこそより大切にしなければいけないと思う。
僕は何か困難に遭遇したらまずそれを考える、そしたらまた違う視線で考えられたり、よりありがたみも知れる。
今回はここまで、これを読んでくださるのも『当たり前じゃない』です。
読んでくださってありがとうございます。