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自己紹介 (造形絵画教室25年間の経験を元に子育てメソッドが誕生するまで)4-7


アイ アプリシエイト!

お宝才能発掘アドバイザーの小鳥遊樹です。

自己紹介の続きを書かせて頂きます。

今日は4-7 毒を撒き散らす社会人や親になってしまった私の続きです。

1.はじめに
2.自己紹介のダイジェスト
3.私の夢と目標
4.私の生い立ち
5.私がメソッド を誕生させるまで
6.いま私にできること

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【3歳から小学校に上がるまで】

私は彼女が家にいる時間のほとんどを
仕事の時間にしていたので、
早いうちからお風呂も一人で入らせ、
食事も一人でさせました。


娘が帰ってきてから眠るまで
自分の食事の時間はありません。
そんな無茶苦茶な生活の仕方をしながら、
自分は授業の合間に飲み込むようにして食べるけれど、
主人と娘の食事の準備をする自分は偉いと思っていたのです。


そうして一番大切な愛を育てる時間を放棄してしまいました。
仕事をセーブして優しさと温かさで育てるチャンスは
いくらでもあったにもかかわらずです。

生まれてすぐからクーハンに入れて
幼児教室に通い始めました。
自分を失敗作品だったと両親が思っているのは
痛いほど感じていたので、
娘の進学は成功させたいと思ったのです。
受験間際になって勉強しろと言わなくても
十分な実力があるように
早いうちから睡眠学習のように
知識をインプットするのは良いことだと考えました。

ただ遊びでお楽しみであればなんの問題もなかったのに
宿題の俳句で暗記ができないと
不機嫌そうに何度も何度も強要しました。
そんなやり方で勉強が好きになるはずもないのに、
彼女に学んだことが身につく楽しさより、
提出期限を守るという苦しさを要求してしまったのです。

後から分析すれば、
私は短時間で物を覚える力があるけれど瞬時に忘れます。
娘は覚えるのに時間がかかるのですが、
丁寧に記憶の引き出しにしまってあって、
後から繋げて自分の勉強に役立てることが
できる才能を持っていました。

なのに本当に小さいうちから
暗記や音読に対する恐怖心を植え付けてしまったのです。
ただ一所懸命繰り返し覚えさえすれば
できるようになるはずだという思い込みで
本当に申し訳ないことをしました。

今なら言えるんです。
「無理して覚える必要なんかないのよ。
いつか自分が覚えたいと思った時に
覚えたいものを覚えれば良いんだからね。」と。

またある時、娘がおもちゃから電池を出して
その電池がたまたま破裂していて
指についた液を舐めてしまったことがあります。
私はパニックになってしまって、
病院へ行く車の中でずっと娘を責めていました。
「なんて馬鹿な事をするの!何かあったらどうするの!」と。

対処しなければならないトラブルに直面した時、
私は常に悪い見本しか見せられない母親だったと思います。
今なら分かるんです。
「それは心配だね、大丈夫だと思うけれど一応病院に行って
診てもらおうね。」と、落ち着いて優しくいえば良いだけなのだと。

そもそも娘と私の感覚は合わないことが多く、
良かれと思って準備するものや購入するものが
喜ばれたことはあまりありません。
それらは使われないまま
いつしか対象の年齢ではなくなりゴミになっていきます。

いくら良かれと思ったって、
そのものの楽しさを一緒に使って丁寧に伝えてあげなければ
使われないのも道理です。
たくさんの修行ができる親子関係にありました。
だからこそこんなメソッドも生まれたわけですが…。
もう娘には手を合わせて謝るしかないです。

思えば小さな頃の娘は
呆れるくらいおっとりして笑顔の可愛い優しい子でした。
ボール投げをしようと遊びに誘うと、
投げたボールが落下地点で落ちて止まるのを見てから
「あー!」と声をあげてゆっくり拾いに行くような
のんびりした子だったのです。

アトリエが始まったばかりの頃も、
何度か自主的にお手伝いをしてくれようとしたのですが、
返って手がかかるからと怒鳴ってやめさせたのは私です。
なのに後になってお手伝いをしない子だと怒っているわけですから
本当にどうしようもない母親でした。

誰だって最初から上手くできるわけないですよね。
何度も失敗を繰り返し、
それをできるようになるまでサポートすることが親の務めであるにも関わらず
そんな基本的なことさえ分かっていなかったのです。

お金があって学校の勉強さえできれば
幸せの大半は手に入るような気がしていました。
それもまた手に入れることが出来なかった自分の傷なのですね。

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娘が園児さんになって友達関係も広がり
いろんな習い事も始まりました。
彼女はとにかくなんでも頑張る子でした。
近隣に響き渡る恫喝を普通にしている一方で、
とにかく娘のことが大好きなので一緒にいろんなことに挑戦しました。


実家の母は運転が出来なかったので、
あちこちに連れて行ってもらうことはなかったのです。
自分がやりたくでも出来なかったことをいろいろさせたいと思いました。

こんなにお金をかけているのだから学校の勉強はできて当然。
その上にいろんな経験をプラスして、タフな人間になって欲しいと思ったのです。


休日にはお祭りやイベントや講習会に片っ端から参加して
テーマパークはもちろん美術館や水族館にも足繁く通いました。
自分が公務員の子どもで真面目で一生懸命であることを望まれていたので、
小さな頃からジャズのライブハウスに連れて行ったり
ゲームセンターやボーリングやカラオケハウスなどにも
頻繁に出入りしました。

そのうちに私はイライラすることが多くなってきました。
そんなにいろんなことをこなせる体力がもともと無かったのですね。
疲れてくると基本の生活が乱れます。
もともと掃除や片付けが苦手です。
いつの間にか仕事場の掃除も疎かになっていきました。


やりたい事はどんどん詰め込むのに、
後の回収や整理整頓ができません。
そのうちに玄関や部屋にゴミが堆積し始めました。

食事も小さな頃は豆やひじきを煮たりしていたのに
買ったもので済ませるようになっていったのです。

今なら分かるのです。
基本的な生活習慣と
穏やかで常に楽観的で明るい気持ちでいさせることが
幸福な人生を創るのにどれほど大切か。

話は次回に続きます。

最後までご覧いただきありがとうございました!

I appreciate !

小鳥遊樹でした。

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