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『サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-』~終えてすぐのゆるゆる取り急ぎ個人的感想メモ~【ネタバレあり】

美少女ノベルゲーム『サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-』をようやく最後までプレーすることができました!
発売から1年弱もかかってしまったのは、個人的理由で、アニメや漫画、ゲームから遠のいてしまっていたのと、なによりもこの作品で扱われる繊細なテーマのひとつである「芸術」に対してのシナリオライターSCA自(すかぢ)さんからの解答がなによりも恐ろしかった……ということが挙げられます。(幸福などテーマはいっぱいありますがっ)

芸術家というと美に殉じてしまう……わかりやすく、ゴッホやゴーギャン……ムンクなども精神病院に入院していますよね。
現代とは違うところもあると言えますが、芸術をテーマにする以上、このような負(?)の面に目を背けるわけにはいかない。

私の場合は〝特に〟でした。

親戚に油彩をやっている方がいるからです。

彼は自死した我が子に対して絵画を描き続けている。(直接聞いてはいないがおそらくそうでしょう……)
その生き方は、破滅型というか……不幸な方に行くことで自らを罰しているようにも見えてしまう。
50号以上の大きなキャンバスに描かれる絵画……それは鎮魂でもあり、悲しみや苦しみでもあるでしょう。
身内(庶民の)からしてしまうと、あまり絵画に対して、そこまで好意的ではなくて、大きく、美しく描かれても、見るのは彼が酔って母に送ってくるスマホで撮った小さな画像で、それをなだめるように定型で返すだけでね……。
私も少し見たが、まぁ、正直わからない。(良い絵ではあるのだろうけど画面も小さいし……)
というか、私はまだ辛くてしっかりとは見られないんだ……。

しかし、サクラノ刻Ⅵ章の展開は素晴らしかった!

サクラノ刻の漆黒の向日葵は、みんなの想いを乗せて、最後に草薙直哉が魂の一筆を入れる。
それで全ての登場人物が本当の意味で夏目圭の死を受け入れて、乗り越えられたんだなぁって……。
そうでなければあの絵は完成させられないし、人々は直視して認められない。
最後に描かれた〝真っ黒なキャンバスで萎れる2本の向日葵〟は夏目圭との想いの焼身である。
描き切り、直視できた全てのひとには『価値』が見いだせる灰の作品……。

これが、作品からの読者への批評である……というのが私の解釈です。

あなたは〝真っ黒なキャンバスで萎れる2本の向日葵〟を見てなにを思ったでしょうか?


直視できましたか?

私も仲のよかった親戚の死を受け入れて前に進まないといけませんね。
顔も見るのがこわく、葬儀にも出られませんでしたから……。
そういった気づきすら創作の壁を飛び越えて現実の私に与えてくれる。

心に刻まれる、とても優しい素晴らしき名作でした。

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もっと軽いやってる最中のX(twitter)でのメモ~♪(Ⅳ章以降が多い)


サクラノ刻やってる途中だけど涙がでてきちゃう……。
長山香奈戦終わったところだけど、やっぱりかっこよすぎるな。

「私は美しいものが好き……。痛みの先に美しさがあるのだから、私はいっくらでも、その先に行きますよ……?」

「ついてこられますか?」

長山香奈が好きすぎて終盤の絵バトルは頭を撫でるようにマウス動かしてクリックしてシナリオ進めちゃった。

サクラノ刻Ⅴ章の絵画対話バトルの少年漫画的な熱血展開は、右手で描く能力を失った幼き草薙直哉の本来ありえたはずの過去を大人の姿で再現している。

サクラノ刻の鳥谷真琴のデザインで象徴的な羽織。一見、昔と同じ(もしくは過剰)に気さくに見える彼女には〝大人〟という、ひとつの衣と諦観が存在している。それを脱がすには……。
みたいなことを考えてプレーしていた記憶があるなぁ。

すごい良いルートのシナリオだったのに鳥谷真琴が14位なのはおかしい!(これはまたちょっとnoteに書きたいかも笑)

メモをまとめるとこんなところですかね。

そして最後はこのつぶやきでしょう!!!

文章・イラスト・音楽・R18での表現・自分がシナリオを進める自由。
やっぱり美少女ゲームって本当にいいものですね……。
もっと評価されるべき!

とりあえず取り急ぎってことで~。(そもそもnoteに美少女ゲームユーザーがいるのか……?)
こんな駄文を最後まで読んでくださった方には感謝しかありません。

ありがとうございます!


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