日本人はいつからラーメンが大好きになったのか? その歴史をひもといてみよう
戦国や幕末の歴史を主に紹介してきましたが、本日は趣向をガラリと変えて、ラーメンの歴史を取り上げます。
現在、全国にあるラーメン店の数は3万店以上。日本中どこに行っても、ラーメンを食べられない場所はないといってもいいぐらいラーメン店があります。またスーパーやコンビニでは、カップ麺や即席麺をいつでも購入できます。ある意味、国民食と呼んでもよいほど日本人はラーメンが大好きなわけですが、それはいつ頃からなのか。また、なぜラーメンが好きなのか。今回はそれらについてまとめた記事を紹介します。
日本人はいつからラーメンを食べているのか?
「日本で最初にラーメンを食べたのは、水戸黄門(みとこうもん)だった」という説があります。テレビのバラエティ番組に出てきそうなネタですが、実際、水戸黄門こと徳川光圀(とくがわみつくに)は江戸時代の初めに、中国から招いた学者・朱舜水(しゅしゅんすい)が作った、肉から出汁(だし)をとった薬膳風の汁そばを食べており、これが日本初のラーメンではないかとされてきました。今も茨城県水戸市には、光圀が食べた汁そばを再現・アレンジした「水戸藩ラーメン」があります。
しかし近年、光圀よりも早い室町時代に、現在の中華麺にあたるものに汁をかけた精進料理を僧がふるまっていた記録が見つかりました。「経帯麺(けいたいめん)」と呼ばれるものです。ただしあくまで精進料理ですので、動物系の食材は使われておらず、光圀が食べた汁そばよりも、現代のラーメンからは遠い存在であったようです。もちろん光圀の汁そばも経帯麺も、庶民には縁遠いものでした。
安い・うまい・高カロリー
では、庶民がラーメンを食べるようになったのはいつ頃なのか。それは明治時代の末から大正時代頃だったようです。「東京ラーメン」の元祖と呼ばれる浅草の来々軒(らいらいけん)が明治43年(1910)に開店し、大いに人気を呼びました。当時はラーメンではなく、シナそばと呼んでいましたが、来々軒の人気の秘密は、それまでのシナそばのスープが塩味であったのに対し、醤油をベースにしたことにありました。中国由来の麺料理が、日本オリジナルのラーメンへと変化する始まりといっていいでしょう。
さらに太平洋戦争後の混乱期、シナそばから中華そばと呼ばれるようになりますが、生計を立てるため、中華そば店に新規参入する人たちが全国に現われました。当時、麺の材料となる小麦が手に入ったことが大きな要因だったといいます。復興に向けて庶民が求めていた「安い・うまい・高カロリー」の食べ物として、地域ごとに味にも工夫がこらされ、やがてご当地ラーメンとして浸透していくのです。そして昭和33年(1958)、日本人に「ラーメン」の名前が定着する画期的な出来事が起こりますが、この辺のいきさつにつきましては、和樂webの記事「日本が誇る『ラーメン文化』 最初に食べたのは水戸黄門? 日本人とラーメンの歴史」をぜひお読みください。
あの味とどこかで再会できないか
さて、記事はいかがでしたでしょうか。私が子どもの頃は、お店や、出前をとって食べるラーメンといえば、具はチャーシュウ1枚、味付け海苔、メンマ、なると、ねぎ、ほうれん草少々ぐらいの至ってシンプルなもので、スープは鶏ガラの醤油味が定番でした。駅の近くには、夜になるとラーメンの屋台も出ていたものです。最近は、そうしたラーメンは探さないと食べられなくなってしまったようです。これも時代の変化でしょうか。
一方で、次々と新しい味も生まれてきていますし、カップ麺やレンジでチンするだけの麺の味の進歩にも驚かされるものがあります。手軽に色々な味が楽しめる点では、今はいい時代なのでしょうね。ただ個人的には時々、かつて食べた味が懐かしくなることもあります。あの味とどこかで再会できないだろうか、そんな期待もどこかに持ちながら、知らないお店を訪れてみるのも楽しみ方の一つかもしれません。