われに策あり！ 智謀で家康を支えた男・本多弥八郎正信
徳川家康の家臣で、本多姓の者は少なくありませんが、まずその筆頭に挙げられるのが、徳川四天王の一人・本多平八郎忠勝でしょう。その次が、家康の謀臣として知られる本多弥八郎正信ではないでしょうか。
「蜻蛉切」の槍をかついで戦場を駆けた平八郎忠勝のイメージを陽とするならば、家康の傍らで謀略を仕掛ける弥八郎正信のイメージは陰。かつてテレビドラマの『関ヶ原』で、三國連太郎さんが演じた弥八郎も、まさに謀略を得意とする「悪役」のイメージで描かれていました。
しかし若い頃の弥八郎は、主家を飛び出して一揆勢に加わり、戦いに明け暮れるという、後半生とは異なった、かなり破天荒な一面がありました。今回は晩年の家康が「友」と呼んだ、本多弥八郎正信の生涯を解説する記事を紹介します。
理解されにくい、口先だけの男
隆慶一郎の小説に、『影武者 徳川家康』があります。家康が関ヶ原の合戦中に暗殺され、彼に瓜二つの世良田二郎三郎が以後、家康の影武者を務めるというストーリーで、コミックやテレビドラマにもなりました。主人公の世良田二郎三郎は武士ではなく、道々の者という設定です。
小説内で本多弥八郎正信は、家康とも、また世良田二郎三郎とも親しく、一向一揆勢の一人として、二郎三郎とともに織田信長の命をねらい、その後、二郎三郎を家康の影武者に推挙する重要な役柄でした。二郎三郎の存在は、もちろんフィクションですが、弥八郎が一揆勢とともに、信長と戦ったことは事実です。
永禄6年（1563）から翌年にかけての三河一向一揆は、徳川家康（当時は松平姓）にとって大きな試練でした。一向宗の門徒だけでなく、三河国内の反家康勢力がことごとく敵に回り、さらに少なからぬ家臣も家康に背いたからです。その中には「槍の半蔵」と呼ばれた渡辺守綱や、三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなる夏目広次らがいました。そして本多弥八郎もまた、一揆方について家康勢と戦った一人です。
本多弥八郎の弟、三弥正重も一揆方につき、大久保忠世と鉄砲を撃ち合って負傷した記録がありますが、永禄7年（1564）に家康が一向一揆を鎮圧すると、正重は帰参が許されました。ところが兄の弥八郎は家康のもとに帰らず、そのまま三河を去るのです。他の家臣らとは異なり、弥八郎は一向宗の門徒や庶民の心情により共鳴するものを覚えていたのかもしれません。
他の家臣との違いでいえば、弥八郎は、武勇を誇って、家康のもとに結束する徳川武士団の中でも、変わり種というべき存在でした。戦場での戦働きよりも、主君の側にいて、さまざまな献策を行うことを得意としていたからです。しかしそうした役割は、武辺者ぞろいの他の家臣には理解されにくく、「戦働きもろくにできない、口先だけの男」と見られがちでした。そうした家中での居心地の悪さも、弥八郎に一揆終結後の帰参をためらわせたのかもしれません。
なぜ帰参したのか
三河を去った弥八郎は、加賀国（石川県南部）に出向きます。当時、加賀は一向一揆勢が守護大名を倒して国を奪っており、尾山御坊（現在の金沢城）を本拠に、周辺の大名たちと激しく戦っていました。弥八郎は一揆勢に、大将の一人として迎えられたようです。弥八郎は越前（福井県）の朝倉氏、越後（新潟県）の上杉氏、さらには織田信長との戦いの中で、持ち前の策謀を活かしたことでしょう。
しかし天正8年（1580）には、一向宗の総本山である大坂本願寺が織田信長と和睦。加賀の一向一揆は信長とどう向き合うか、内部で紛糾し、やがて織田方の切り崩しにあって崩壊していきました。
弥八郎が家康のもとに帰参した時期は、異説もありますが、天正10年（1582）頃、本能寺の変の前後と見るのが妥当なようです。帰参を決心した理由として、甲斐（山梨県）の武田家が滅んだ後、家康から弥八郎に帰参の呼びかけがあったともいいますが、本願寺の信長への屈服と、一揆勢内部での不毛な争いに、弥八郎は嫌気が差したのかもしれません。むしろ東海地方に勢力を広げた旧主家康のもとに帰る方が、自分の才をより活かせると考えたのでは、と想像したくなります。
家康のもとに帰参してからの弥八郎の活躍については、和樂webの記事「家康を天下統一に押し上げた謀将『どうする家康』本多正信の真意とは」をぜひご一読ください。
弥八郎のみがなしえる芸当
記事はいかがでしたでしょうか。
大久保忠世の弟・彦左衛門忠教が『三河物語』の中で、第二次上田合戦における弥八郎の指揮を批判したように、帰参した弥八郎を待っていたのは、「大した戦功もない出戻りが、口先だけで重用されおって」という家臣たちの空気でした。もっとも彦左衛門が弥八郎の「繰り引き」を馬鹿にしたように、弥八郎に戦場経験が乏しかったかといえば、事実ではないでしょう。正規の武士ではない一揆勢を指揮して、大名たちと互角にわたりあった加賀一向一揆時代の十数年間の弥八郎の経験は、相当なものであったはずです。しかし、だとしても、出戻りの自分に対する家中の風当たりが強いことは、弥八郎は十分覚悟していたことでしょう。
それを最もよく理解していたのが、主君の家康でした。家康は弥八郎を常に傍らに置き、その謀才を存分に発揮させて、豊臣政権から天下の権を奪ってのけるのです。それは戦働きに明け暮れた他の家臣には逆立ちしても真似のできない、弥八郎のみがなしえる芸当でした。
家康はまた、時代が戦乱から泰平の世へと移る中で、求められる人材も、戦場の勇将から頭の切れる官僚へと変わってきていることを、弥八郎を重用することで、家臣らに示したのかもしれません。しかし、戦場で家康を支えてきた者たちにすれば、それは到底理解しがたく、家康が没した直後に生涯を終えた弥八郎はまだしも、官僚として成長した弥八郎の息子・正純があっけなく失脚するのは、弥八郎に対する反感ややっかみが、家中にくすぶっていたと見るべきでしょう。似たような話は、現代の組織においても、珍しくないことではないでしょうか。
いずれにせよ弥八郎は、徳川家中が居心地の悪いことを承知のうえで、あえて家康のもとに帰参しました。それはなにより家康のもとで、自分の才能を発揮できると確信していたからでしょう。そして見事、家康を天下人に押し上げました。その点において弥八郎は、自分の生涯に満足していたのかもしれません。
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