戦国時代カレンダー 今日は何の日? 【10月11日~17日】
戦国時代の今日の日付にはどんなことがあったのか? 1週間ごとにお伝えします。ぜひ「ああ、今日はそんなことがあった日なんだな」と思いを馳せてみてください。毎週日曜日に更新する予定です(今週は体調不良で1日遅れました)。
なお、日付はすべて旧暦ですので、現在とは約1ヵ月のズレがあります。31日はありません。
10月11日 秀吉が立花宗茂を賞賛
天正14年(1586)10月11日(旧暦)、豊臣秀吉は立花宗茂(たちばなむねしげ)を賞賛。島津(しまづ)の大軍を立花城に引きつけて破り、さらに高鳥居(たかとりい)城を攻略した戦功を評価しました。宗茂は島津勢を追撃したうえ岩屋(いわや)城、宝満(ほうまん)城をも奪還。岩屋城で討死した実父高橋紹運(たかはしじょううん)の雪辱(せつじょく)を果たします。
10月12日 九鬼嘉隆、没
慶長5年(1600)10月12日(旧暦)、九鬼嘉隆(くきよしたか)没。関ヶ原合戦で嘉隆は西軍に、息子守隆(もりたか)は東軍について九鬼家の存続を図ります。合戦後、守隆は徳川家康より父の赦免を許されますが、その急使が到着する前に、嘉隆は逃亡先の答志島和具(とうしじまわぐ)で家臣に促されて自刃していました。守隆はそのことを知って、家臣に激怒したといいます。
10月13日 明智光秀が加伊原新城を築城
天正7年(1579)10月13日(旧暦)、丹波に加伊原(かいばら、柏原)新城を築城中の明智光秀(あけちみつひで)を訪問していた吉田兼見(よしだかねみ)が、京へ出立(しゅったつ)。当時、すでに丹波(現、京都府中央部、兵庫県東部)の八上(やがみ)城、黒井(くろい)城は光秀によって陥落しており、光秀が新たな城を築く意味と、加伊原新城の場所については、今も議論が続いています。
10月14日 片倉小十郎景綱、没
元和元年(1615)10月14日(旧暦)、片倉小十郎景綱(かたくらこじゅうろうかげつな)没。伊達政宗(だてまさむね)の右腕として知られます。智勇兼備の将で政宗の大半の合戦に参加し、大いに主君を助けました。晩年は一国一城令下の特例として認められた白石(しろいし)城(現、宮城県白石市)の主となり、以後、片倉家が代々要衝(ようしょう)を守りました。
10月15日 飯富虎昌、没
永禄8年(1565)10月15日(旧暦)、飯富虎昌(おぶとらまさ)没。武田信玄(たけだしんげん)の宿老で、赤備えを率(ひき)いたことで知られます。第四次川中島合戦でも活躍し、信玄の嫡男義信(よしのぶ)の後見役を任されますが、義信が信玄と対立すると、一説に義信をかついでの謀叛を疑われ、自刃を命じられました。しかし、その死の真相については今も謎が残ります。
10月16日 信長が足利義昭と対立
永禄12年(1569)10月16日(旧暦)、織田信長が将軍足利義昭(あしかがよしあき)と対立し、岐阜へ帰国。同年8月、伊勢(現、三重県の大半)の北畠(きたばたけ)氏を攻めた信長は劣勢となり、将軍義昭の仲介で和睦します。が、和睦の条件で信長が次男信雄(のぶかつ)を北畠氏の養子に強要したことに、義昭が不快感を示しました。両者の対立はこの辺から顕在化していきます。
10月17日 真田信之、没
万治元年(1658)10月17日(旧暦)、真田信之(のぶゆき)没。真田昌幸(まさゆき)の長男で関ヶ原合戦では父や弟信繁(のぶしげ)と別れ、東軍につきました。戦後、流罪となった父や弟の生活を支え、大坂の陣では信繁が大坂城に入って活躍したために幕府から警戒されることになります。さらに晩年、御家騒動の危機も迎えますが、そうした困難を乗り越え、真田家を見事に守り抜きました。
【戦国武将生没日】(毎週更新)
10月
10月1日・横田高松没(1550年・砥石崩れ)
10月1日・陶晴賢没(1555年・厳島の戦い)
10月1日・後藤賢豊没(1563年・観音寺騒動)
10月1日・石田三成没(1600年・関ヶ原合戦・六条河原で処刑)
10月1日・小西行長没(1600年・関ヶ原合戦・六条河原で処刑)
10月1日・安国寺恵瓊没(1600年・関ヶ原合戦・六条河原で処刑)
10月1日・赤松則英没(1600年・関ヶ原合戦・京都戒行寺で自刃)
10月2日・梶川高秀没(1568年・摂津池田城の戦い)
10月2日・龍造寺政家没(1607年)
10月3日・弘中隆包没(1555年・厳島の戦い)
10月3日・弘中隆助没(1555年・厳島の戦い)
10月3日・北条氏康没(1571年)
10月3日・長束正家没(1600年・関ヶ原合戦・水口城開城後自刃)
10月3日・長束直吉没(1600年・関ヶ原合戦・水口城開城後自刃)
10月3日・毛利秀元没(1650年)
10月5日・扇谷上杉定正没(1494年)
10月5日・南部信直没(1599年)
10月5日・藤堂高虎没(1630年)
10月6日・蘆名盛隆没(1584年)
10月7日・足利義明(小弓公方)没(1538年)
10月7日・筑紫広門誕生(1574年)
10月7日・山名豊国没(1626年)
10月8日・浅利信種没(1569年・三増峠の戦い)
10月8日・足利義維没(1573年)
10月8日・伊達輝宗没(1585年・阿武隈川河畔で銃殺)
10月8日・二本松義継没(1585年・阿武隈川河畔で銃殺)
10月8日・山崎家盛没(1614年)
10月9日・竹中重門没(1631年)
10月10日・太源雪斎没(1555年)
10月10日・松永久秀没(1577年・信貴山城の戦い)
10月10日・松永久通没(1577年・信貴山城の戦い)
10月10日・岡国高没?(1577年・信貴山城の戦い)
10月11日・伊東祐兵没(1600年)
10月12日・香西元成没(1560年・山城国炭山城の戦い)
10月12日・小山田虎満没(1579年)
10月12日・九鬼嘉隆没(1600年・関ヶ原合戦・和具の洞仙庵で自刃)
10月13日・冷泉元豊没(1562年・門司城の戦い)
10月13日・五十公野信宗没(1587年・新発田重家の乱)
10月14日・片倉景綱没(1615年)
10月15日・飯富虎昌没(1565年・謀叛の疑いにより武田信玄の命で自刃)
10月15日・島津勝久没(1573年)
10月15日・林秀貞没(1580年)
10月17日・真田信之没(1658年)
10月18日・小早川秀秋没(1602年)
10月18日・本多忠勝没(1610年)
10月19日・武田義信没(1567年)
10月21日・遠藤基信没(1585年・伊達輝宗の墓前で殉死)
10月21日・吉川経安没(1600年)
10月22日・六角義治没(1612年)
10月23日・小笠原長時誕生(1514年)
10月24日・森下道誉没(1581年・鳥取城の戦いで自刃)
10月24日・中村春続没(1581年・鳥取城の戦いで自刃)
10月25日・大内輝弘没(1569年・大内輝弘の乱)
10月25日・吉川経家没(1581年・鳥取城の戦いで自刃)
10月25日・新発田重家没(1587年・新発田重家の乱)
10月26日・神戸具盛没(1600年)
10月26日・村井長頼没(1605年)
10月27日・織田秀則没(1625年)
10月28日・酒井忠次没(1596年)
10月28日・富田知信没(1599年)
10月28日・赤松広通(広秀)没(1600年・関ヶ原合戦・徳川家康の命で自刃)