おヒョイと暮らせば、よん
4、カオス理論に引用したものなのだけど
私が通大寺の客間に入ると、一人の男性が声を上げた。
「えっ!」
え!
と、叫びたいのはこっちだよ!
という言葉を飲み込んで、私は相手に頭を下げて「初めまして、高村英です」と挨拶をした。
え!
と叫んだのは藤村亜実さんだ。後であの時何で叫んだんですかと聞いたら、「え、僕そんなこと言いましたか?」と言われましたが、絶対『あんまりにも普っ通ーーーの人が登場したもんだから、びっくりした』のだと思う。
どなたか藤村亜実さんにお会いしたら確認してみてください。絶対そうですから。
私の目の前に現れたのは、藤村亜実さんと、そしてプロジェクトの企画を立ち上げた二人。
そしてそこにもう一人、———そう、藤村俊二さん。おヒョイさんだ。
お、お、おおお!
おヒョイさん!?
ええ!?
と叫びたいのはこっちだった。
金田住職から、亜実さんはおヒョイさんの息子さんだと紹介される。
私は「そうなんですね」と女優顔負けの演技力を発揮してドキドキする心臓を宥めた。
いやそっくりだし、隣にいるから!
息子さん!?
なるほど、確かに似ている。疑いようがない。
亜実さんと挨拶をしているようにして、その実、私は亜実さんの後ろに立つおヒョイさんが気になって仕方なかった。そうしたら当然、おヒョイさんとバッチリと目が合った。
仕方ない。おヒョイさんの登場は不意打ち過ぎたのだ。
亡くなった方たちとは基本的に交流はしないようにしている。必要に迫られた時だけだ。なので目を合わせたり、波長を合わせたり、気にし過ぎたりしない。
普通に見えないように、そう、「普通の人」を演じる。
じゃないと、着いて来られる。自分のコンディションが悪ければ、最悪、中に入られる。
私の言う、「中に入られる」とは憑依されるということだ。
憑依にもいくつか種類があるが、ここではそれは割愛だ。知りたい方は私に直接聞きに来てほしい。今はそれどころじゃない。
いつもなら不用意に目が合ってしまえば、そこから先は着いて来られないようにバトルが始まる。
誰に見られずとも知られずとも、私の体質はいついかなる時でも急なバトルを強いられる。
なのでいつだって私は心の中でファイティングポーズを常にして、すぐさまカウンターが繰り出せるようにしている。こちらからは仕掛けない。相手が仕掛けてきたら、すぐさまやり返す。
この時の私も、そういう緊迫した状況下にあった。
(はあーーー!!! やばい! 本物の芸能人じゃん!!! 人生で初めて生で見たわ!!!)
私はおヒョイさんのファンだった。
友人にもファンが多くて、——というか、日本人はみんな同じリアクションなのでは?——頭の中では大声で叫べない歯痒さでいっぱいだった。
(やっば!!! 生おヒョイさんじゃん! えー、すごい、人生って何があるか本当に分からないなー!)
人生で初めて会った芸能人が国民的俳優とか、私ってどんだけすごいラッキーなの!
心の中ではキャーキャー叫びながらも、女優さながらの高村英はそれとは別に、プロジェクトの話を真剣に聞いていた。
いや嘘だ。半分も聞いていなかった。
(わあー、本当に息子さんなんだなあ。手の形が全く同じ。指とか。なんで親子って局所的なところが似るんだろうなあ。私も母親と全く同じ手と爪の形してるけど。あー、わー、声が聞きたい。またあの有名なナレーションが聞きたいなあ)
そこで私はハッとして、やっと冷静になる。
———いや、おヒョイさんって亡くなってるよね。
最初の挨拶の時に、そう言った会話もしていた。お父さんが亡くなられて何年になるのかとか。
そう。
いつもならファイティングポーズをしているのだが、この時はノーガードだった。私がプロボクサーで躱すことを得意としている、もしくはボディに入っても大丈夫なほどの筋肉で鍛え上げられた肉体と精神ならまだしも、私は大人になってもこうやって逃げ回るような大事な話し合いの時に浮かれて脳内で大騒ぎをするような、つまりどこにでもいる大人だった。
そうだ、おヒョイさんが亡くなった時に、あまりにショックで、友人たちの間でその話題で持ち切りだった。
(いや、じゃあ、待って。生おヒョイさんだけど、生だけどそれって生きているって意味の生じゃないけど、でも目の前にいるおヒョイさんはマジのおヒョイさんだし)
頭の中は混乱して大変だった。
人生初の生芸能人、それも有名すぎる相手に浮かれていたけど、そもそも亡くなっている方。
バッチリと目を合わせるどころか、こちらからガン見してしまった。
都会に住う方々が芸能人を見かけてスマホを片手に写真を撮るのを、「まあ、品のないことですこと」と思っていたけれど、実際に目の前にテレビで見ている有名人が来るととてもじゃないけど冷静でいられない。
すみませんでした、品がないとか思って。私が誰よりも下品でした。めっちゃガン見しちゃってました。
いやでも亡くなってるから、私がガン見していることはおヒョイさんしか知らないし!
……亡くなった方の尊厳を、そんな理由で冒涜するのって、私自身が一番嫌いなことじゃない? 生きていたとしても、やっぱりこれって品のないことだよなあ。
しかもプロジェクトの真剣な話し合いの時に。
私がそんなことを考えているうちに、プロジェクトの話し合いも佳境に入っていた。
ああ、この話を初めて会った人にするのは辛いなあ。でもきちんと説明しないと、納得してもらえないだろうし。
「その時、あなたはどう思いましたか?」
え、あの時のこと?
「その時の私は……」
いやでも実際に亡くなってる方の前でこのプロジェクトの話するの結構しんどくない?
でも通大寺っていつもなんかたくさんいるし、おヒョイさんは特別何か主張しているわけでもないし。
え、プロジェクトの構成?
はあ、なるほど。そんな感じなんですね。
しかしおヒョイさんって普通におヒョイさんなんだなあ。
え、あの当時のこと? あの当時のことを何回も話すのは、本当に心がえぐられると言うか……しんどいな。
でもこのおヒョイさんって、亡くなるどれくらい前の姿だろう? 亡くなった方は結構亡くなる前の元気な姿、比較的直近の元気な姿でいることが多いけど。
私の感情はジェットコースターだった。
大人で良かったー!
心の中はぐちゃぐちゃだけど、ちゃんとプロジェクトについての話はしているし、話は半分くらいしか聞いてないけど、ちゃんと自分の言いたいことも言えているし。
いやでも、おヒョイさんが亡くなったのってどれくらい前だったっけ?
一年半……もっとかな?
それなのに息子さんのそばにいるってことは、『こういう機会———私のような体質の人に会える機会』を待ってたってこと?
「このプロジェクトに参加してもらえますか?」
たくさんの言葉が頭の中で騒いでいた。
私の感情はジェットコースターのまま、話は進んで行った。
私は私の言いたいことを言って、相手の質問にもきちんと答えていた。そこには誰一人として私の体質のことを鼻で笑うような人たちはいなかった。
過激な内容や、過激な言葉を選んで話したが、それでも参加してほしいと言われた。
プロジェクトに参加するのは、私にとって辛いことだった。
だから初めから断るつもりでいたのだ。
私の感情はジェットコースター。頭の中はぐちゃぐちゃ。
「少し、考えさせてください。……でも、お断りすると思います。期待しないでください」
プロジェクトチームの三人は、「もちろん、ゆっくりと考えてください」と仰ってくださった。けれど、絶対に折れるつもりがないことがだだ漏れだった。別に心を読んだわけでもなんでもない。私がある話をした時から、三人の空気が一気に変わったのがはっきりと伝わっただけだ。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
話し合いが終わった頃には外は真っ暗だった。
2018年。
晩秋の東北は、夕方には息が凍えそうなほど寒くなる。
帰る時に、金田住職とその奥さんである裕子さんが、亜実さんにお父様であるおヒョイさんのことで話しかけていた。
感情はジェットコースター。頭の中はぐちゃぐちゃ。
私はつい、ぽろっと言ってしまった。
「手の形がお父様と全く一緒ですね」
私もそうなんですよ。私は母親と全く一緒なんですけど。
それは言葉として続かなかった。
口にしてコンマ数秒。
ヒュッと心臓が冷えた。
私は過去に、何度もこういう過ちをしては傷つき、傷つけてきた。
私が自分の体質から逃げるように、それを隠すように、相手にだって触れられたくないものがあるのに。
自分の不用意さにギュッと胸の奥が痛くなった。
あちこちにある生傷から一斉に血が吹き出るようだった。
「え! 親父、いるんですか? なんて言ってますか!?」
亜実さんは初めて私を見た時とは全く違う「え!」を言った。それは嬉しそうに、自分の亡くなった父親のことを尋ねた。
「ずっといましたよ」
私は亜実さんの質問には答えず、それだけ伝えた。
「親父と話がしたいです。すごく気になります。えー、なんて言ってるんだろう」
なんて答えたのか。
とにかく、私はプロジェクトの断りの返事をしなくてはいけなくて、そのことで連絡をしなくてはいけないし。
私は何も言わず答えず、亜実さんを含む三人を、住職さんたちと一緒に見送った。
三人が帰った後、住職さんたちが夕飯に中華料理屋さんに連れて行ってくれた。
大好きな坦々麺を食べて、「ここのお店、めっちゃ美味いですね!」と全員で帰りのバスの時間を気にしながらも一気にラーメンを食べた。
住職さんたちと別れた後、私はバスの時間にギリギリ間に合ったことを喜びながら、待合所でバスを待っていた。間に合うように、住職さんたちがきちんと待合所まで送ってくれたのだ。
私は亜実さんに何も言わなかった。
なぜなら私はすぐにまた、亜実さんに会うことになるだろうと分かっていた。
それと、どこまで踏み込んで良いのか分からなかった。亜実さんは「亡くなった方たち」の存在を信じているようだったけれど、だからってなんでもかんでもすぐに話すわけにはいかなかった。
それに、なんというか、おヒョイさんはすごくシンプルだった。
「親父、なんて言ってますか?」
私はおヒョイさんが息子さんから親父と呼ばれていることにもびっくりだった。私の中で、気づいた時にはもうおヒョイさんはおヒョイさんとしてテレビの中にいたからだ。誰も彼もがおヒョイさんと呼ぶ。
あなたのお父さんは、ずっと二つのことしか言っていなかったですよ。
テレビの中の印象のおヒョイさんと違って、寡黙で、穏やかなのは変わらないのですが、どこか少しだけ寂しそうにしていました。
そして今、通大寺からの帰りの道中。バスの中。
あなたのお父様であるおヒョイさんは、私と一緒に私の家へと帰宅中です。
———いや待って。
おヒョイさんと一緒に家に帰る一般人って世の中に私だけなのでは!?
あー!
亡くなった方だから誰にも自慢出来ない!
そしてこのパターンは、今までの亡くなった方たちと同じなら、このまま本人が納得するか私にやってほしいことをやってもらうまで一緒に暮らすパターンじゃない?
いやー!!!
おヒョイさんと一緒に暮らす一般人とか、日本に私だけじゃない!?
この時の私は、なぜ、自分が絶対に断ると決めていたプロジェクトに結果的に参加することになるのかということはすっかりと頭の中から消えていた。
人生初の生芸能人と暮らせるってヤバいな、ということで頭がいっぱいだった。
自慢出来ないのが悔しいよー!
そんな思いでいっぱいだった。
そこから2018年の年末まで、藤村親子にずっとプロジェクトに参加するように説得され続けるとは、浮かれすぎた私には考え及ぶわけもなく。