もう死ぬのよと言うあなたと高村英

結構運が良い高村英


 まるで自慢のようなタイトル。
 でも良いでしょ。たまには大声で自慢をさせて欲しい。

 私は結構運が良い。
 それも、良い出会いが多いという、運の良さ。

 いやね、大変な目にもあったし苦労もしたし、嫌な人もたくさんいたよ。

 でも、なんて言うか、人生の分岐点に立たされたり、苦境に立たされた時に、
「ああ、あの人は良い言葉を残してくれたなあ」
 と思える、そんな人に出会える機会が多かった。

 
 いつも死んだ人の話ばっかりしてるから、たまには生きている人の話でも。

 でもこの方ももう、亡くなっているのだけど。

 その方は末期癌で、私はその方と会話する機会に恵まれた。

「私ね、余命半年なのよ! 死ぬのよ!」

 あっけらかんと笑って言うので、若き日の私はどうして良いのか分からなくて、
「死んじゃうんですか?」
 と、アホの子のようなことを聞いた。


 その方は笑って「そうなのよ!」とにこやかに言った。

「もう十分生きたし、孫もいるし、金も子供たちに残せたから、まあ困ることはないわね」

 さすが戦前生まれ。強い。

 早くに旦那を亡くし、女手一つで子供を育て、会社を経営して、最終的にはマンションなどの不労収入だけで十分に暮らせていて、とにかくお金持ちだった。

 お金になんの欲もない私は、「お金ってあるところにはあるのだなあ」と思った。

 けれど、そんなお金持ちぶりと違って、その方は質素な病院の服を着て、荷物も最小限で、私なんかよりずっと無欲そうだった。

 その方のご家族に一度、お会いしたことがあるのだけど、みんな優しそうで、その方が病気で余命幾ばくもないことを悲しんでいた。

 本人だけが、その死を何も悲しんでいなかった。

「本当はね、前に病気が見つかった時に死ぬはずだったのに、なんでか助かっちゃってね。運が良いのね、私。儲けたわ。金も命も。だってその分、お金をまた稼げたのよ?」

 そう言って笑う人だった。

 大人になった今、その方がどれだけお金に苦労したのかが分かる。命の重みも、お金の重みも十二分に知っている方だったのだ。

 私はその方とお話をするのが大好きだった。

 その方と最後に話した内容を今でも覚えている。
 定期的に思い出しては、ふふふ、と笑うのだ。


「人生の終わり際に、あなたのような親切で優しい人と出会えて嬉しかったわ。一生忘れない。お礼に、人生で最も大切なことを教えてあげる」


 私はドキドキしながら、心して聞いた。

「良い? 人生で一番大切なのはね、お金の数え方を間違えないこと」

 この人、金の話しかしてなかったな。
 いや本当に、お金の話しかしてなかったな。
 でも、私はいつもこの人をたまに思い出しては、自分を励ましたりしている。

 私はこの方の最後を知らない。
 ただ、今、絶対に生きていないことだけは確かだ。
 もう亡くなっている。
 けれど、私が思い出すこの方は、いつも茶目っ気たっぷりで魅力的で、上品で、強かで、———私はこの人に出会えて、なんて運が良いんだろうと、思い出す度に思うのだ。

「もう一つが最も重要よ。それこそ一生忘れんじゃないよ?」

「はい」


 私は真剣に耳を傾けて、二人しかいない病室で、声を潜める必要もないのに、さらに息を潜めてその続きを待った。


「一つは金の数え方を間違えないこと」

「はい。それ、さっき聞きました」

「急かさないの。私、死ぬのよ」

「はい。いやでもそれ本当ですか?」

 結構疑わしかった。絶対に亡くなっているのは分かっているけれど、まだ生きてまーすって言われても驚かないくらい、その方は「生きていた」のだ。

「あと少しで死ぬ人の言うことが信じられないの? 黙って聞きなさい。本当に死ぬんだから、これが今生の別れなのよ」

「はあ……悲しいです」

「全然悲しんでないの、バレバレなのよ」

 怒らりながらも、その方は笑った。

「重要なことだから、忘れんじゃないわよ」

 私はなんで、なんてことないこの言葉を、こんな歳までずっと大事にしているのだろうかと、ふふふ、と笑ってしまうのだ。


「星は夜空にしか、煌めかないってことよ」


 少女漫画に出てくるヒロインのような顔でキョトンとした私は(実際にはそんな美女ではないのだけど、まあ少女漫画のヒロインのようなイメージで定着させよう)その方を見た。


 ニンマリと笑って、両手を自分の頭の上でひらひらさせていた。

 星空なんて見えそうにない病室で。

 
 その当時、子供だった私には本当の意味は分からなくて、なんとなくでしかなかったけど。

 大人になった今、その人がどれだけ、途方に暮れた夜に空を見上げたのかが分かる。

 本当にお金の話しかしない人だったな。世間一般的な考えで言えば下品なんだろうけど、私はその方の品の良さが大好きだった。下品だなんて、最後まで思わなかった。

 お金の数え方を間違えないこと。
 星は夜空にしか煌めかないってこと。


 苦しい時が続く時、忘れっぽい私はこの言葉を忘れがちで、抜け出せた時にふと思い出すのだ。
(使い方、思い切り間違えてるな)
 あれだけ念を押されて忘れるなって言われてたのに、結局忘れてちゃってるな。いっけね。

 結局、言われた通り、この会話が今生の別れになった。

 私は勉強も出来ないし努力家でもないし、良い人かと聞かれたら、うーん、と唸ってしまうのだが。


 暗闇の中でしか煌めかないものもあると知っている。

 
 そんな言葉を送ってくれる人に出会えるのが、私の運の良さで、自慢なのだと、胸を張れる。


 
 

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