おヒョイと暮らせば、に
2、蝶の羽ばたき程度の作用でさえ
少し過去の私の話をしよう。
「幽霊なんていない。死んだらみんな無になる」
祖父が亡くなった時に「死ぬとどうなるのか」と父親に尋ねると、そう返事があった。
でも父親はとても神仏に愛されている人だった。いつも「いいもの」たちが側にいて、父親は守られ愛されていた。
私はガラの悪い子供だったので、「大人って分かってるようで何も分かってねーな」と思いながら、なるほどね、と返事をした。
祖父の葬儀の間、祖父は参列者たちの全員の顔を一人一人丁寧に覗き込んでいた。
死んだはずの祖父が自分の前に立った時、流石に心臓がドキドキした。
子供の頃から葬式は苦手だった。
いろんな人がいて、知らない人が大勢いて、それが生きている人なのか亡くなっている人なのか分からなかったからだ。
私はいわゆる、【見える人】だ。
世間ではお化けと言われ、幽霊と言われ、悪霊と言われ、神だ仏だと言われ、妖怪だの妖精だのと言われるそれらが、小さな頃から見えるし、何だったら会話できるし触れるし体の中に入ってこようとするし。
怖いと思ったことはなかった。
生きている人との違いが分からなかったから、ある程度の年齢になるまで、みんな当然のように見えているのだと思っていた。
ありがたいことに、私の周りには一切、心霊現象を信じる人はいなかった。
不思議ちゃんであり、子供が一時期そう言うことを言っているだけくらいに思われていた。
何より、私自身があまり口にしなかった。
何度も、これからも何度も言うが、「生きている人」と「亡くなった人」の違いが、私には分からなかったからだ。
話は戻すが、祖父がついに自分の前に来た。
亡くなったばかり、死んだばっかの生まれたてのホヤホヤ祖父。
私は俯いて、目を合わせなかった。
その頃には、「亡くなった人と波長が合うと着いて来られる」ことを学んでいた。
祖父が好きだった。
祖父が一番好きだったのは妹だったけれど。笑
でも祖父は孫たちを比較的平等に可愛がってくれた。私のこともそうだった。
けれど、亡くなった祖父はどうだろうか。
と言うか、お経を聞かなくて良いのか?
一所懸命に和尚さんがお経を読んでいるのに、どうして亡くなった人はいつもお経を聞かないで、葬式に参列している人の顔を見て回ったり、飾ってある花が誰からのものか名前を読んだり、自由気ままにしているのだろう。
今は椅子に座るのが主流だし、何なら簡易に済ませてしまう葬儀も、昔はとても手が凝っていて、お経も長かったし、正座でずっと座らなくてはいけなかった。
子供心に、亡くなった人が羨ましかった。私だって葬式の時に足が痺れたからと胡座をかきたかった。
亡くなった祖父は、目を合わせると、私が見えていることを知ると、着いて来て、私を困らせるのだろうか。
どうしよう。
祖父に顔を見せたい。祖父の顔を見たい。けど、着いて来られると困る。
祖父が亡くなったことよりも悲しかった。
子供の私は、亡くなった祖父のことを、「いやな存在」として認識していた。
ただ肉体を失くしただけなのに。
祖父は私のつむじをじっと見て、隣に移って行った。
隣には、すっかりと葬儀に飽きて母の膝の上でダラダラとベソをかいている幼い妹がいた。祖父はその妹の顔を見て、満足気な表情をして、また隣へと移って行った。
死人に口無し、とは嘘で、結構喋る。
亡くなった人たちは墓場まで無事に持っていけることが出来た言葉たちを、これでもかとぶちまけまくったりする。
でも祖父は寡黙な人だった。生前も死後も変わらなかった。
見る人によって祖父の印象は違うだろうけど、少なくとも、私の中の祖父は、孫を怖がらせたり困らせたりするような人ではなかった。
祖父の部屋にはブラウン管のテレビがあって、その前で胡座をかいて祖父はよく時代劇を見ていた。夕方になると必ず時代劇を放送していた時代があったのだ。
私はその祖父の胡座の中にすっぽりとおさまって、夕飯が出来るのを待つのが好きだった。
祖父はさしたる未練もなかったのか、この世に留まることもせず、しかるべき姿になり、しかるべき場所へと行った。
私は、祖父がどんな表情で私を見ていたのか、知らないまま、祖父と今生の別れとなった。
うちの孫たちは妹が一番下で、それで孫たちは全員だった。
妹の顔を見て満足気な表情をした祖父は、孫全員を見てから死んだのだから、そりゃまあ満足だろう。
亡くなった人は自分の死を受け入れて納得していたら、今生に未練などなくサラリといなくなるなんて聞いてなかった。
経験が乏しかった。
死んだら無になるなんて嘘だ。
流石に父親も今は分かっている。
自分で実際に体験してみると、違うのだ。
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