おヒョイと暮らせば、さん

3、遠くの気象が変化するという気象用語を



 話は現代に戻る。
 というほど、前話が古の話なわけでもないのだが。

 私はこんな風に、小さな頃から「どこに属せば良いのかよく分からない人」として生きてきた。自分のことをきちんと分かっている人ってどれくらいいるのだろうか?
 少なくとも、私はまだよく分かっていない。


 ただ一つ分かるのは、【人に見えないものが見える】ということだけだ。


 私はこれを体質と呼ぶ。通大寺の金田住職は個性という。人によっては才能だという。さる人はギフトだという。また人によっては何かしらの名前をつけるのだろう。
 霊能者?
 占い師?
 スピリチュアルなんちゃら?

 まあ、知ったこっちゃない。皆さんもお好きなように呼んでください。
 ここでは私は「体質」で統一させてもらうことにする。

 私は家系に誰もいないにも関わらず突然変異で生まれてしまったので、代々そういう家系なわけでも、特別信心深い家系でもなく、かと言ってこの体質をなんとかするべくどこかの寺や山に入ったこともない。

 著名な霊能者や霊媒師に相談に行ったこともないまま、自己流でこの歳まで来てしまったのだ。

 なので私にとってこれはあくまでも「体質」でしかないのだ。

 そんなことより。
 問題は、目の前に国民的俳優が実在していることだった。


 2018年の秋、私は金田住職に呼ばれて通大寺に行った。
 足取りはとてつもなく重たかった。行きたくなくて行きたくなくて、何なら途中で腹痛でとか嘘をついて行くのをやめようかと思ったくらいだった。

 じゃあ何で行ったの?

 そこまで嫌なら、行かなきゃ良かったのに。
 本当にそう思う。
 
 けど大人になると「もうこれ以上は逃げられない」という時がある。来る。ついに来たのだ。

 私の逃げられないタイミングが、その時だった。

 私の体質のことは、ノンフィクション作家の奥野修司さんの記事や、金田諦應住職の記事を読んでいただくと良いかと思う。
 ネットで名前で検索するとすぐに出てくるかと思う。お二人ともすごい方々なので。

 とにかく、私の体質と、それにまつわる出来事で金田住職たちと共に体験したことがきっかけで、一つのプロジェクトが立ち上がった。
 大抵、その手の話———私の体質に関することに、私自身は表に出ず、金田住職一人に任せっきりなことがほとんだだった。金田住職の口から語ってもらうことがほとんどだった。

 私はこの体質のせいで、とかく生きにくい世を頑張って生きてきた。
 しかもこの世はことさら、この手の体質の人には手厳しい。

 私はもう傷つきたくなかった。
 亡くなった方たちが見えるとか、未来が見えるとか、過去が見えるとか、そういうのは、私を傷つけてきた。

 役に立つことももちろんある。

 ガラの悪い子供だった私は、さしたる成長もみせずに立派とは少し言いにくい大人になったので、たまにこの体質を使って宝くじを買ってみたり、わざと時間を遅らせて事故に遭わないようにしたり、職場で嫌な人がいたらその人の家庭事情を勝手に覗き込んで「ああ、なるほどね。朝から旦那さんと喧嘩した上に、お姑さんに嫌味を言われて、その鬱憤を職場で晴らしているのね」と情報を得てその日は近づかなかったり、わざと近づいて愚痴を聞いて可愛がってもらったり。

 いや、こうやって書き出すと結構役に立ってるかな。

 でもやっぱり、それ以上に疲れ、傷つくことのほうが多かった。
 この体質をコントロールするのはとても大変で、しかも私は自己流だった。
 何ならいまだにその手の本とかはまともに読んでいない。かばねやみなのだ。
(宮城の方言で、面倒くさがりと言う意味)

 だからそのプロジェクトに、ついに私にも出てほしいという話が来た時、本当に気鬱だった。

 まあ、断るし!
 何度もそう言って自分を鼓舞して、私は通大寺へと向かうバスに乗り込んだ。

 そう、私は断る気満々で、通大寺へと向かったのだ。

 でもそれとは別に、私には自分がプロジェクトに参加することも分かっていた。
『そういうのが見えていた』
 そして大抵、いつも、「そういうの」は、私を裏切らず、その通りになる。はっきりとした言葉で表現するなら、「結果の確定された未来」が見えていた。

 でも不思議だった。
 未来の確定要素は結構少ない。変えられる。それこそ人の意思一つで。
 私はバスの中で確固たる思いで「うん、絶対に断ろう!」と思っているのに、どうして自分がプロジェクトに参加している映像が見えるのだろうか。

 結構頑固、いや、随分と頑固な性格なので、断ると話を聞く前から決めているのに、一体何が起きて自分はプロジェクトに参加するのだろう。

 押しに押されて断れなくなるとか?

 通大寺にまた「誰か」いるとか?

 住職さん、あっちこちで活動しているから、どこかで拾って連れて帰って来てるのかな。

 そんな思いで通大寺に辿り着き、私はプロジェクトを断るべく、通大寺の客間へと足を踏み入れた。


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