おヒョイと暮らせば、ろく

6、おヒョイさんの起こしたバタフライ効果が


 
 通大寺でプロジェクトの話を聞いておヒョイさんに出会い、一緒に暮らし始めて一ヶ月が過ぎたくらいの頃だった。

 東北はすっかりと冬になっていて、師も走るような季節だった。

 私はすっかりとおヒョイさんとの暮らしにも慣れていた。

 常に誰か知らない人や生き物たちとの共同生活で、だいたいが生きている人間の数より亡くなった人たちの数が多いことがほとんどの我が家も、なぜだが珍しくおヒョイさんしかいなかった。
 
 いや、おヒョイさんがいること自体も不思議なことではあるけれど。

「次、藤村(亜実)さんが来た時に、お伝えしますね」

 私はそれだけはおヒョイさんと約束していた。おヒョイさんは返事をするでもなく、うなずくわけでもなく黙っていた。

 私は亡くなった方との約束事は基本的にしない。滅多に手も合わせない。これも高村ルールの一つだ。
 詳しくは説明しないが、もし約束事を交わしたら、それは絶対に破ってはいけないからだ。一度手を合わせた相手には、一生手を合わせなければいけない。
 それはどこにいても構わない。
 お仏壇の前じゃなきゃダメとかお墓の前じゃなきゃダメとかは特にない。
 お仏壇のない国ではどうするのって話だし、今までの経験上、場所は関係なかった。ただ1日の中に、1週間の中に、1ヶ月の中に、一年の中に、必ず相手のことを思って手を合わせる『時』が必要なのだ。

 私はその……面倒くさいと思ってしまうので、なるべくそういうことはしないようにしている。
 いやだって、どれだけの亡くなった方たちと知り合いだろう。動物たちも合わせたら、手を合わせているうちに人生が終わってしまいそうだ。

 あと、死者との約束事は、絶対なのだ。———絶対なのだ。
 生前にした約束事を破られたからと怒っている方には今のところ出会ったことはないが、死後にした約束を破られて猛烈に怒っている人は何人か知っている。

 なので亡くなった方との約束事はすぐに叶えられそうなものしかしない。

 約束しておいてすっかり忘れてて、後から猛烈に怒られたりしたら困るからだ。怒ると表現しているが、怒り方は様々だ。まあ、それもここでは詳しくは書かないでおく。

 とにかく。

 亜実さんがプロジェクト参加の説得と、もう一度きちんとプロジェクトについて説明するために東北の通大寺に足を運んで下さったのだ。

 なので私はそのタイミングで亜実さんに、お父様であるおヒョイさんが思っていることを伝える約束をした。


 でも私は気鬱だった。

 プロジェクトの返事をもうはっきりとさせないといけない時期に入っていた。

 お断りはしている。

 それも、二人に。


 そうなのだ。
 
 おヒョイさんの訴えの一つが、「プロジェクトに私、高村英が絶対に参加すること」だったのだ。

 私は一ヶ月以上、特におヒョイさんからは毎日のように参加するように圧をかけられていた。


「息子に任せれば良い。絶対に悪いようにしない。息子を信じれば良い」


 そんな無茶な。
 何度思ったか分からない。
 
 一度しか会ったことのない人に、全てを信頼して任せるなんて土台無理な話だ。
 そもそも、そのプロジェクトは大き過ぎて、私にはとてもじゃないけれど挑戦出来る内容じゃなかった。
 それにせっかくここまで「普通の人」に固執して逃げ回って生きてきたのに、ここでそれを台無しにする勇気もなかった。

 プロジェクトに参加することに関しては約束しなかった。
 だからどれだけおヒョイさんから、亜実さんを信じてプロジェクトに参加するように言われてもずっと無視していた。

 けれどこの親子、本質は似ていて、とにかく諦めが悪い。

 おヒョイさんは声を荒げたりなんかしなかった。私があからさまな無視をしても気にもしなかった。

 穏やかな人と言えば良いのか、考えていることが分からない人と言えば良いのか。静かな人なんだな、と思った。最後まで怒ったおヒョイさんを見ることはなかった。

 そしてただただ、あの聴き慣れた柔らかな声で、

「息子に任せなさい。(自分の)子供たちは信用に足る人たちだから何の心配もないから」

 と連日説得をされる。

「私を信じなくて良い。ただ、私の息子を信じてくれれば良い」

 そんなことを連日言われる。

 ちなみに上記の言葉にはかなりぐらりと来た。
 私は早くに父親を亡くしているので、「お父さん」からのお願いに弱い。
 映画とかも父子ものはいつも泣いてしまう。
 このジャンルは圧倒的に私のツボを抑えていた。

 私がこのプロジェクトに参加する意味が、どこで繋がるのか見えなくて、私は決断が揺らぎに揺らいで仕方なかった。

 少なくとも、私はずっと逃げ回っていたこの「体質」について、たくさんの人の目に触れることになってしまう。
 そうなればもう逃げ場はなく、どうしようもなくなってしまう。

 その当時でさえ、私の元にはちらほらと「助けてほしい」と言う声が届いて、時折、その手助けをしていた。

 それでも私は「普通の人」というものに固執していた。

 誰よりもおヒョイさんの存在を否定したかった。
 私の妄想であると思いたかった。見えない人でいたかった。

 確定事項の未来。
 その時にはもうすっかりと理解していた。

 この親子によって、私の確固たるお断りの決意は覆されるのだと。

 
 私は亜実さんに通大寺でも説得され、その後ろにはそのお父様であるおヒョイさんからの圧もあった。

 だから———私は意地になって、絶対に首を縦に振らなかった。

 金田住職は、私が断れば自分も参加しないとはっきりと言ってくれた。私の意思を尊重してくれた。
 それだけ、私にとって勇気のいることだと、金田住職は痛いほど分かってくれていた。もちろん亜実さんだって分かった上で、説得してくれていた。分かった上で、絶対に参加する意味があると、私を説得し続けた。


 通大寺を出た時、また外は真っ暗だった。
 東北の冬は、息をするだけでも肺が凍るんじゃないかと思うほど空気が冷たい。

 と言い切れるほど、世の中の冬事情を知っているわけじゃないけれど。

 雪が降ってしまったほうが実は寒くないというのは、雪国育ちあるあるだろうか。宮城の雪は太平洋側に位置するだけあって重みが少なく、ふんわりとした雪が降る。
 
 その冬は暖冬だったように思う。
 と言うより、雪があまり振らなかった気がする。
 去年もそうだったかな。あんまり覚えていない。

 とにかく、私は仙台から通大寺に来たのだが、仙台ではパンプスでも平気だった気温も、暗くなった宮城の北の大地では肌色が赤紫になってしまうほど寒かった。

 次は絶対にブーツで来よう。

 そう思って、———心の中で私は舌打ちをした。
 ガラの悪い子供だったのだ。
 今は結構まともな大人なので、心の中でだけ、したのだ。
 いや、舌打ちなんて品のないこと、例え心の中だけであったとしても、本当にしたかな?
 してないと思う。絶対にしてない。

 とにかく、私は「次、通大寺に来る時」のことを考えた自分に、心底ガッカリしたのだ。
 
 金田住職が駅まで送ってくれたので、その日の帰りはバスではなく亜実さんと一緒に新幹線だった。

 亜実さんは仙台で一旦降りて、その後また東京行きの新幹線に乗る予定だった。

 
 

 私は、新幹線を待っている間でも亜実さんに説得されていた。

 もううんざりしていたので、亜実さんがなんて言っていたのかはほとんど覚えていない。

 実際には亜実さんだけでなく、おヒョイさんからも圧をかけられている。

 
 私は一生分の勇気を振り絞って、泣きたくなる気持ちを堪えて言った。

「プロジェクトに参加します」

 はい終ー了ー!!!
 ホイッスルが鳴った。
 運動が全く出来ないので、人生においてホイッスルが鳴ったのを実体験で聞いたのは体育の授業くらいなもんだけど。

「ただし!!!」

 そう言って、私はプロジェクトに参加する無理難題を並べ立てた。
 〇〇はしたくない。
 〇〇をするならこうしたい。
 ありとあらゆる条件を出して、これでも良いと言うなら参加させてもらいます。

 お前は何様だ?

 そう言いたくなるほどには、わがままをたくさん言った。

 亜実さんはすぐにパソコンを出して、プロジェクトのボス二人にメールを送って確認を取った。

 明日メールしたって結果は変わらないよと思ったが、性格の悪い私は黙っていた。

 きっと二人は私のわがまま全てを飲んで、OKを出す。

 『見える先』がまた少し進んだ映像に変わっていたから、私にはそれこそ確信があった。

 私は死者との約束事は滅多にしない。
 私がしたおヒョイさんとの約束事はこれじゃない。だからこれはノーカウントだ。

 もう逃げられないと思った私は、心の中で悪態をついていた。一人につき、約束事は一個までです。何個も何個も出来るか。人の心は常に新しい欲を生む。それの良し悪しは関係ない。


 それでも、嬉しそうに笑うおヒョイさんの満足気な表情に「いや、私は亜実さんに参加しますって約束したのだし」と言い訳じみたことを思った。


 嬉しそうだった。


 私は素人なので、役者さんの笑顔が本物なのかとかは全く分からないのだけど、嬉しそうに柔らかく笑うおヒョイさんの笑顔を見て「これはテレビでは見れないよな」と、おヒョイファンとして、また誰にも自慢出来ない貴重な体験を一つ増やした。
 


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