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【家族】父親にとって、今年の夏と去年の夏は違うのだろうか。

現在A.M.1:00、私は自室で風呂に入った後の髪が完全に乾くのを待ちながらこれを書いている。
先程リビングに行ったら、いつものように父親は心霊?オカルト番組を見ていた。父親は専門学校を卒業してから家業を継いで30年。ずっと安定しているし、楽しんで人生を送っているように見える。父親は友達が多分数人しかいない。でも、仕事終わりは週5で映画館に映画を観にいき、他の日は昔のアニメや今日のような心霊番組やオカルト番組など、いつもものすごい面白そうな番組を見ている。全然暇じゃない、むしろ毎日楽しみがあるのだ。

最近出した扇風機を見て思った。父はこの夏が去年の夏と違うのかなと。
私は去年は、シェアハウスに住んでいて、海外に行く準備をしていて毎日忙しかった。変わって今年は家に半分引き篭もりながら就職活動をしている。こんな今は想像していなかった。
でも、父親はどうなのだろう。去年も今年と同じように帰ってきたら好きな番組を観て、また仕事に行く、そんな生活だったのだろうか。

少し考えてみたけれど、父の去年と今年はかなり違うと思った。
去年の11月、父方の祖父が亡くなった。父の父親だ。ものすごいふざけた人で、いつもおちゃらけている、真面目なことなんて言ったことがなかった。でも歴史や世界のこと、宗教についての知識が豊富で死ぬ間際までモンゴルについて勉強していた。そんな人。死ぬ一週間前まで買ってくるおやつにいちいち注文をつけていた。そんな祖父がいないこの夏は、父にとって初めての夏だ。

また、今年は弟が浪人している。私の家は「節約至上主義」なので、どこに行っても大して変わらない(と言っている)大学に行くためにどうしてもう一年勉強するのか、理解する人はいなかった。しかし、弟が苦しそうだったし、唯一受かった大学にどうしても行きたくなさそうなのをみて、最終的に父も母もOKを出した。
というわけで、弟は毎日グータラしながらちょこちょこ勉強をしている。ただやっぱり宅浪はストレスがたまるようで、機嫌も悪く、嫌な空気になることもしばしばだ。(私も就活で余裕がないので笑)でも私は心の底から応援している。頑張ってほしい。
そんな夏も父にとっては初めてだ。

こうして考えてみると、どんな平凡な生活でも必ず違う環境になり、違う毎日を生きている。人生に飽きるっていうのはないんじゃないか、と思った。(前までいつか飽きちゃうんじゃないかって思ってた)
父親はいつも一定のスピードで進んでて、安定している。映画がとにかく好きで詳しいので、実は一度、「映画紹介とかブログやってみたら?」と言ったことがある。でも、ハハと笑って流されただけであった。正直バリキャリの人とか、起業家とかそういう人からしたらつまらない人生だと思われてしまうかもしれない。だけど、もしかしたら知らないところで悩んでいたかもしれないし、あとは、私たちが生まれた時、ものすごい喜んだっていうのも実は知っている。

挑戦することはもちろん素晴らしい。そういう人がこの資本主義社会で評価されるのもわかる。でも一方で、つまらない人生なんてものはなく、変化がない人生もない。人は必ず動いていて、環境や人との関係や気持ちは絶えず変わっている。

私は今は若いからかもしれないが、何かできる人にならなきゃ、一生挑戦し続けたい、本気でそう思っているし、そうじゃなきゃヤダと思う。正直自分の親は超えたいと思ってしまっている。けれど、超えるって何を?って感じだし、これ以上いい家族を作るのはものすごい至難の業、無理なんじゃないかってぐらい。平凡に見える人、平凡に思う自分もたまらなく素敵であって、それはそれで認められる人でありたいし、目に見えることだけで「つまらない」と言ってしまうような人にはなりたくないと改めて思った。

とりあえず父親は死ぬまで自分なりに幸せに生きてほしいと心から思う。
幸せな人生とは、小さな幸せを見つけ、感じ続けることなのだと、父親から教えてもらったような気がする。

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