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【就活】就活って「できなさを認めること」なのかもしれない。

3月にまあまあ結構行きたかった企業に内定をもらい、就活を終えようと思ったのだが、現在いわゆる内定ブルー。

本当にここでいいのだろうか、この業界でいいのだろうか、そもそもこの仕事って世界を幸せにしているのだろうか。そんなことがぐるぐるぐるぐる頭の中を回っている。

そんなことを二週間近く悩んでいて、ようやくぼんやりと見えてきたことがある。それは、就活、また、大人になるって自分のできなさを認めることなのかもってことである。どうしてこう思ったか、自分でも説明がついていないので文章に書いて整理しようと思う。
この「できなさ」には「経験のできなさ」と「自分のできなさ」があると考えている。

私は選択肢、可能性を広げるために就職すると思っていた。

でも、それはちょっと違うと思う。一つ頑張ることを選ぶということは、他の選択肢を捨てるってことだし、他にあり得た人生を歩まないことを決めるってこと。こういうと私がものすごいネガティブ人間だと思われそうだが、これは考えてみれば当たり前のことだ。

個人的な話をすると、二つの会社で迷っている。①イケイケな感じで楽しいって感じの雰囲気のところと、②本質的深く考えて着実な感じの雰囲気のところ。たとえば、①に行ったら、楽しいかもしれないけど、本質的に深く考える力はあまりつかないか、つくのが遅くなるかもしれない。逆に②に行ったら、論理的思考やうまく仕事ができる人にはなり、尊敬できる人にも出会えるかもしれないけど、学生時代のようなキラキラした青春はもう味わわないかもしれない。こんなふうにどっちかを選ばないといけないっていうのは「向こうではあり得た人生を捨てる」ってことである。
これが「経験のできなさを認めること」であった。

次に「自分のできなさを認めること」である。

そもそも会社に入るっていうこと自体も「自分のできないことを認めている」ことだと思う。自分が創業者でない限り、理念、事業内容、価値観、人、環境、全て素晴らしいと思える会社なんてないし、妥協するしかないのは自明である。私は地球やこの社会にこれ以上苦しみを与えたくないと思っているけれど、どこかの企業に入ったら、少なからず間接的にも誰かを苦しめていることにはなるだろう。というか、生きているだけでそうなのかもしれないけど。それなら就職しなければいいのかもしれないが、現時点では自分で起業なんてできないし、1人でフリーランスで生きてくのも怖すぎる。だから、やっぱりそこは自分の信念を一旦は横に置こうとする自分の弱さを受け入れなきゃいけない作業だった。

もう一つの例としては、世間的にエリートって言われている立場には自分はなれないんだなってこと。別にそんななりたくもないんだけど、そんな私でもなんとなく負けたような気がしてくる。なろうと思ったらグローバルエリートになれるんかなとか思ってたけど、そもそも目指したいという思いがそこまで湧いてこなかった。1%ぐらいはなんか悔しいけど、自分はそういう人間だってこの3年ちょっとで知れた気はした。

でもやっぱり周りからすごいって言われるのって気持ちいいし、学歴も自分を支えてくれるものではある。正直私は勉強をそこそこ頑張ってそれが今も結構大きな自信になっている。だからこの先も立場とか肩書きっていうのは自分にとってはある程度自分を支えてくれるものになるんだろうなと思って、それも恥ずかしいけど認めた。だから私は今は、自分の一番、ど真ん中でやりたいことと少しズレてるけど、自分がある程度自信を持てる場所に身を置く可能性が高そうだ(今のところ)。
そんなカッコ悪すぎる自分を認めないとやっぱり就職活動なんてできなかった。

こんな感じで、自分はちょっとずつ経験や自分の能力を諦めたり、受け入れたりして就活をしてきた。

コンサルとかテレビ局とか出版社とか、人生何個も送れるなら、そりゃやってみたい。今でもかっこいいと思うし憧れてるものだ。けど自分が今なるんだっていう熱意はない。それは自分にはそれをやる能力がなくて、合ってないってことだと解釈する。

ネガティブなワードを並べてしまったが、自分にできることを思いっっきりやって、もし誰かを苦しめてしまったとしても、別の多くの人を幸せにし続けたい。思いっきり生きることができれば、それはその時その選択を諦めた意味が確かにあったってことだ。苦しみを減らし幸せを増やし続けたい、それは唯一何があっても諦めたくないことである。

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