最愛の旅先・小笠原 第2回 初めてのおがさわら丸
はじめに〜なぜ「小笠原」が頭に浮かんだんだろう
前回の投稿で「いろいろと考えているうちに、頭に『小笠原』という言葉がパッと浮かんだ」と書いたけれど、なぜそうなったのか?
理由とか経緯とか覚えてなくて、今となっては推測しつつ考えるしかないけれど、
そもそも、海のあるところ、海に触れられるところを求めたのは本能的かつ衝動的なもので、論理や思考によるものとは異なるものか、超えるものではないだろうか。
一方で「小笠原」という場所、父島や母島という島は、これまで行ったことがないいせよ、存在することは知識として知っていた(どんな島かの詳細は知らないものの)。
頭の中で、衝動的な本能と、眠っていた知識としての言葉が、交差点で人と人とがぶつかってしまうかのように出会った結果、「小笠原」という言葉が頭に浮かんだ(眠りから目覚めるように)のではないかと、今となっては考える。
2009年7月8日水曜日午前10時、おがさわら丸、竹芝出港
初めての小笠原旅行の日がやってきた。この日は水曜日で、朝10時の出港に間に合うためには通勤ラッシュの電車で竹芝に向かわなければならなかった。荷物は多く、移動は大変だったはずだ。
船中1泊の船旅、碧い海の南の島、ワクワクせずにはいられなかったと思う。
出港時刻、デッキの上から岸壁を離れる瞬間を見てから、しばらくは東京湾の移ろう景色を眺めていた。
船内でごろごろしたり、ツアーの掲示板をぼんやり眺めたり
父島行きの船中を撮影した写真が無い・・・撮影しなかったみたい。
出港して羽田空港を過ぎてからは、船内(2等和室。カーペット敷き)に戻って、多くの時間をごろごろしながら過ごした気がする。
正直言って、車と船には酔いやすい方だ。なるべく酔わないようにするために、ごろ寝して過ごしていたかもしれない。しかし、この時のおがさわら丸はあまり揺れた記憶なく、酔った記憶がない。
おが丸(おがさわら丸)の中には、父島や母島でツアーをやっているお店のフライヤー掲示しているボードがある。
(確か、船内レストランの出口にあった。ツアーは、例えばドルフィンスイム、スキューバダイビング、シーカヤック、森歩きツアー、戦跡ツアーなど)
海のレジャーといえば、これまで海水浴くらいしかしたことのなかった自分にとっては、どれも新鮮なものに映ったし、現地で何をしたいか、しようか、父島に向かうおが丸の中でもまだ明確にはなっていなかった(「小笠原に行ってみたい!」という思いだけは先行していた)。
ツアーのお店のフライヤーたちを、やってみてみたいと思えるものがあるかどうか、ぼんやりとではあるけれど、探すような感じで眺めていたように思う(何をするか、最終的には、小笠原ユースホステルの掲示板のフライヤーを見て決めた気がする)。
食事は船内のレストランに行ったけれど、何を食べたか、思い出せない。
夜はー2回目以降の旅ではデッキに出て星空を眺めたりしているがーデッキには出なかった気がする。
日の出を見た気はするけれど、写真を今よりも撮りまくっていた当時は日の出を見たなら日の出の写真があるはずなんだけど、無いので見に行かなかったんだろうなあ。
初めてのおが丸の中で最も強く印象に残ったのは、釣り客の姿だった。
それでも、当時の船中の印象で、今なお強く残っているものがあって。
それは、釣り客。
釣りをしたことはなかったものの、釣り客のクーラーボックスとか着ていたベストとかとともに、楽しげに船内で過ごしていた釣り客が強く印象に残っている。
楽しげだったことに加え、釣りをしたことがないぶん、「非日常」というものを最も強く感じさせたからかもしれない。
ごろごろしながら過ごしたとは言っても、「おがさわら丸」という真新しい世界。25時間半の船旅は短いとは感じなかったけど、長いなあと感じることもなく。
今となっては思い出せないことも多いけれど、少なくとも「鮮度の高い時間」で、短さとか長さを感じることが無かった気がする。
海の碧と空の青のカラフルさが強くなって。間もなく父島だ!
潮風と日差しと真夏の暑さと。いよいよ到着、胸が高鳴るとともに、初めての場所なので、初めてに特有な緊張もしたかなあ。
父島タクシーの船のお出迎えに気分があがった記憶が。
さて、このあと下船後に、小笠原ユースホステルの方のお出迎えを受けることになるのですが、初めての自分はお出迎えの言葉に「???」となった。お出迎えの言葉は次回投稿にて。