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最近よく見る「不快です」攻撃

やっと寒くなってきた。まだコートは出してないけれどニットやジャケットの出番がやってきた。ただ駅までちょっと早歩きするだけで電車の中で汗が出る。汗をかくのをできるだけ避けたいので、すぐにジャケットを脱ぐのだが、電車の中が暑いこと。そうだ、冬は調節が難しいんだった。寒くなったらなったで文句を言う…。

ここ数年でよく見かけるようになった「不快です」というコメント。SNSやYouTubeのコメントでよく見かけるようになった。誰かのセリフとして音で聞くことはほぼない。
コメントを見る習慣はないのだが、YouTubeでは動画を見る際に、ひとつだけコメントが表示されてしまう。なぜ荒れているのか気になってたまにコメント欄を見ると、賛否が分かれる内容の場合、必ず批判する側に「不快です」コメントがある。
インスタでも見かけたことがあるし、楽天などの商品レビューでも見かけたことがある。そんなに使い勝手の良い言葉なのか…。
バカとかアホとか直接攻撃の言葉ではないから、本人は攻撃じゃないつもりでお気持ち表明しているだけなのかもしれないけど、しっかりとした悪口・批判・攻撃に見えるけどな。どういうつもりで使っているんだろう。

「不快です」と書く人の気持ちを勝手に考えると、”私は決して理不尽に批判しているわけではない。私は、この投稿を見て/この商品が届いて、こんなに嫌な思いをした。その気持ちを分かってほしい。伝えたいだけ” みたいな感じなのかと。
さらに”私はその辺のコメント荒らしとは違うし、口悪く罵る人とは違いますから” という常識人のスタンスを守ろうとしているのも透けてみえる。実際コメント自体は丁寧な書き言葉で書かれていることが多いから、自動的にブロックされはしないのよ。
しかし、「不快です」で締めたコメントのその後には”だから今後私が不快に感じるようなことはしないでね。あなたが変わってね” という意味が含まれている気がしてならない。人を変えようとするなんて無理なのに。自分がもう見ないようにする方が簡単なのに。

この「不快です」コメントを見る度に、それを見たこちらの方がモヤモヤする。なぜこんな言い方をするのか。相手に期待しすぎだし、被害者スタンスにも感じてどんよりしてしまう。
これなら直接的な悪口の方が分かりやすいよね。私はあなたを攻撃します、のスタンスで責任も負っている気がするし。相手を攻撃しているのに被害者スタンスというのがずるく感じるのかもしれない。匿名で攻撃しているという状況は同じなんだけどな。
よく漫画で引用される「殺される覚悟がある奴だけが殺してもいい」みたいなセリフを思い出した(漫画の読みすぎだなw)。

また変な文化、、というか変な言い回しができたな。これもいつかセリフとして使われる日がくるのかな。嫌だなー。モヤっとするから聞きたくない。


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