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「人を愛せよ」昭和の頑固親父の言葉

小さい頃の父の印象は、大国柱で頑固で堅物で厳しい人。
田舎で何代も続く家に生まれた末っ子長男なので、大事に育てられたらしい。
そんな父から衝撃の言葉が出てきて、今でも忘れられない。


結婚願望のない娘にやきもき

小さい頃は当然大人になったら結婚するもんだと思っていた。
学校の先生も友だちの両親もみーんな結婚して子どもがいる。
子どもの頃に触れ合う大人は既婚者ばかり。
現実でも物語の中でも子どもがいて親がいて祖父母がいるのが当たり前。

自分が本当に結婚したいのか疑問に思ったのは社会人になってからだったと思う。そこまで真剣に考えることもなかったのよね。
恋人が「結婚したい」と言い出したり、同棲に憧れて1週間くらいうちに泊まったりすることがあって、”これは無理かな…”と感じたのを覚えている。
軽いノリで「結婚したい」と言う人もいたけど、それにノリで答えられない自分がいて、確定したのかも。

30歳頃には実家に帰るとさりげに結婚や子どものことを探ってくる両親。
一度はっきり言ったことがあったな。
細かくは覚えてないけど、結婚する気はない、孫は期待しないで、弟がいるからいいでしょ、的な。
両親にはつい甘えが出て、感情的に言ったような気がする。
アラサーの時期は友達の結婚式も爆増するし、周囲のプレッシャーもあるしで敏感になっていたのかもしれん。
結婚願望はない、なんて真面目に説明しようもんなら説教してくる中年勢がいたからやり過ごすしかなかったのよね(説教してくる人はそんなに幸せな結婚生活を送っているようには見えなかったけど…)。

家族にまで小言を言われるのが嫌になって、帰省の頻度を下げた時期もあった。
そしたらもう結婚や子どもについて言われることはなくなった。笑
両親、ごめんよ。気をつかわせて。
帰ってこなくなるくらいなら、聞くのはやめようと思ったのだろう。
結婚や孫問題は置いといても、一人でちゃんとやっていけるのかとか、頼れる人はいるのかなどいまだに心配はしていると思う。

それでも伝えたかった父の懇親の一言

コロナ禍で帰省を控えていたけど、数年ぶりに帰省した年末。
ひさしぶりに家族で過ごせて楽しい時間だった。
両親に一緒に暮らしている猫のことを話したところ、猫もいいけど結婚も諦めるなと父からの反撃が始まった。
アラサーの頃とは違ってお互いにもっと気楽に話せて、嫌な感じはしなかったな。
猫がいるから大丈夫、毎日楽しいよ、誰かと一緒に住むのが無理なのよ、猫が一番、、
などとぶっちゃけた話を伝えると、それを黙って聞いていた父が一言。

「人を愛せよ」

車内、大爆笑。
というか大爆笑していたのは私だけだったかな。母も笑っていたと思うが、インパクトが強すぎて記憶を改ざんしているかも。。
だって愛について語るような父じゃなかったはずだもん。
いまだに父のイメージと結びつかない。
父も仕事を引退して、シニアになってどんどん変化しているのは分かるけど、それにしたってこの変化は思いもしなかった。

親のために結婚するのも子どもを産むのも違うと思う。そう考えたことはないなあ。
じゃあ自分自身、結婚したいかというとその願望はないんだよなー。
アラサーの過敏な頃も、大好きな恋人がいたときも、自分の結婚にはどうしても結びつかなかった。
相手がどうしても望むなら結婚してもいいよ、くらいのこだわりではあるので絶対に嫌というわけではないが。それでもなぜ結婚したいのか話し合うと思う。

なんでこんなに結婚に意欲的になれないのか自分でもたまに不思議に思う。
トラウマはないから、私個人の性質が影響しているんだろうな。
あ、結婚という契約ごとには拒否反応があるな。
大好きな人でも契約関係になると、権利と義務を意識しちゃうのかも。
正直なところ、結婚したとしても確実に離婚すると思うから、だったら籍は入れない方が良くない?と考えている。笑
今も昔も、何十年も結婚生活は維持できないだろうという自信(?)がある。
どちらかの苗字を変えて、それに関わる面倒な諸手続きが発生するのも嫌だしね。

こんなめんどくさいことを考えている間は結婚することはないだろうなあ。
でもこれから何が起こるか分からないもんね。
いつか結婚したいと思うときがくるのか、そんな変化が訪れるのか訪れないのか、、ちょっと楽しみ。
孫を楽しみにしている両親には申し訳ないと思うが、私が最期まで一緒にいるから安心してくれ、という思いです。


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