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「責任」というパワーワード

■はじめに
 「責任」という言葉は、皆さんにとってはプラスなイメージでしょうか?それともマイナスなイメージでしょうか?
 また、「責任を取る」「責任感が強い」というものは、どのようなもの(人)のことを指すでしょうか?

■責任という意味合いの「切腹」
 時代劇で、騒ぎを起こした責任を取る形で切腹を命じられるシーンはよく見られるかと思います(ものによっては「斬首」の刑に処されることも)
 「昔の人は何か取り返しのつかないことをするとすぐ切腹させられたのか...」という風に捉えるでしょう。ただこれが浸透したのは、江戸時代だそうなのです。私は以前、『4つの国家秩序』(https://note.com/takamiy007/n/nef742ceda0c6)という記事を書きましたが、切腹して責任を取るという文化は、Bの世の中における "ムチ" として機能していたと考えています(『葉隠』の「武士道とは死ぬことと見つけたり」は典型例)
 大河ドラマ『いだてん』ではそんな、「大事な勝負に負けたら切腹」という悪習はやめるべきとして、武道のスポーツ界への進出を夢見る嘉納治五郎の姿が描かれていました(嘉納治五郎は主人公ではありませんが、主人公並みの存在感がありましたよね)

■責任ある仕事
 よく、「1年目から責任ある仕事を任せていただけた」と言って自分の所属する会社を称賛する人がいます。おそらく、リーダーを任されたとか、一つ間違えれば大惨事になるような重い仕事を引き受けたということでしょう。これは、キャリアアップとしては良いことであっても、本来5年目とかがするような仕事を1年目に任せて(それも、1年目の一般的な給料でやらせて)いたら、それは「パワハラ」といえるのではないでしょうか?

■「責任者」という意味でのリーダー
 組織のトップは、「総責任者」のような呼び方をすることもあると言えるでしょう。確かに、多くの人の人生を預かっているともいえるわけですから、責任は組織のトップに多くのしかかります。
 部下がやらかしたら上司も部下の分まで謝罪するということがあります。そこに「責任」を見出しているのでしょう。しかし、例えば役所なんかは、市長のスキャンダルが明るみに出たら、翌日の役所はクレームの嵐で、市長の意向に従って動いている公務員たちが市民に謝ることになります。上がやらかして下が謝っているという奇妙な構図です。他にも、某N大のアメフト部で、部員が悪質なタックルをしたのが監督(大学の理事でもあった)の指示であったと判明した際、学長(理事の方が立場上は上)が会見に出てきていました。
 以上を考えると、責任という意味では、「大は小」をならぬ、「上は下を」兼ねているといえるでしょう。

■色々例を挙げたが...
 上で色々と事例を挙げましたが、やはり疑問が浮かぶかと思います。それは、「責任とは何なのか」ということです。正直、この世の中は、責任の重い仕事ほどストレスが溜まりやすいからその分給料は高くなるほど単純にはできていません。基本的には、ストレスが溜まりやすく、かつデリケートな仕事は下請けに委託して、問題が発生したら元請けまで含めた全体の問題となるという構図に基本的にはなっています。
 では、「責任」が自分に生じるのはどういうものなのでしょうか?私は、次のことを考えました。
 Q.あなたはリーダーだとして、部下から提案を受けたとします。次の2つのケースのうち、責任の所在はどうなるでしょうか?
  1.「いいよ」と言ってその部下の思うようにやらせてみせて大失敗してしまった時
  2.「ダメだよ」と言って自分の思うようにやらせてみせて大失敗してまった時

 これは、 1は「部下」の責任になり、2は「あなた」の責任になると考えています(もちろん、いずれにしてもトップに責任が回りますが)。いかがでしょうか?
 予算や資源は限られているので、できることは限られています。それを考えると、「責任感が強い」リーダーとは、「いいよ」が言えて、場合によっては「ダメだよ」が言えて(それも、なぜダメなのかの、しっかりとした説明ができる)、問題が発生したら自分のこととして受け入れられる(2のようなケースでは特に)人を指すのかなと考えています。
 早い話、責任を取りたくない、あるいは取らせたくないと思っていると、「そうせい候」になるかと思います。幕末、テロ支援国家のような存在として朝敵の汚名を着せられた長州藩の藩主毛利敬親は、志士たちの提案にはひたすら「そうせい」と返答していたといいます。また、戦前の日本では、天皇を頂点とした国家運営がされていましたが、天皇親政では決してなく、天皇はあくまで裁可を下す(YESしか言わない)存在(天皇機関説と学者は呼んだ)でした。これらは1のケースで、問題が起きたら、「これやらせて欲しい」と言った部下が悪いというのが受け入れられていました。戦前では、大臣が引責辞任して幕引きでした。
 2のケースなのにお上が責任を取らなかったという最悪のパターンもちゃんとあります。それは、「湊川の戦い」です。建武の新政に対して反乱を起こした足利軍が朝廷軍と天と地の差にまで広がった時期に、名将楠木正成は起死回生の策を後醍醐天皇に提案します。しかしそこへ、公家の坊門清忠がいちゃもんをつけてきて、それを真に受けた後醍醐天皇は、楠木に玉砕命令を出してしまったのです。「こんなはずじゃなかった」と、誰もが思う場面に間違いありません。にも関わらず、湊川での敗戦を知ると朝廷一行は、「あの時と今ではわけが違う」ということで、楠木正成の提案通りのことをすることとなったのです。これは時代とともに美化されて、特攻精神にも取り入れられました。私は思うのです、「こういう道徳に浸るのはもうやめないか」と。
 しかし、こういう風に育った家庭は案外多いと思うのです。自分なりに色々調べたり思い悩んだりした末に出した道なのに否定されて(周りの大人たちの思う道に合わさせられる)は、当然モチベーションも上がらないままいたずらに時が過ぎ、失敗したら手のひらを返すように、「お前が選んだんじゃん」ということにされるというものです。
 今年の2月26日で、あの大事件から85年が経ちます。あの時暴挙に出た将校たち(皇道派)が目指したのは、天皇親政、つまり、天皇も「ダメだよ」という結論を出すことがあるというものです。失敗すれば天皇自身にも責任(任命責任も含めて)が回ります。それで本当にやっていけたのでしょうか?本当に実現してしまっていたら、テロ支援国家になっていたと考えています。たとえ敵をソ連に絞るにして、本土を守り切ったとしても、アフガニスタンと同じような道を歩んでいたと考えます。

■最後に
 「責任を取る=辞める」は違います。「引責辞任」という概念があるように、辞めることは責任を取る「手段」「過程」の一つに過ぎないと考えています。不正が発覚して即辞任というのは、さらなる不正の発覚を恐れて責任逃れをしようとしているとも疑われかねません。
 安倍前首相は記者に向かって、「責任取ればいいってもんじゃないですよ」と言いました。スキャンダル続きでしたから、「責任を取りません」という意思表示に感じた人も少なくなかったかと思います。だから、体調不良という形に持っていって総理大臣の座を譲ったのだと。
 「責任追及ばかりしていてもきりがない」と悟って現状追認してしまった結果が現在の日本政府の失態ともいえると考えます。戦前・戦中の失敗も同じです。それも、日本に限ったことではありません。ドイツなんかも、世界恐慌による大混乱の中で当時のヒンデンブルク大統領は、ヒトラーを首相に任命しては解任し、結局小政党系の人に首相をやらせても立ち行かず解任し、結局ヒトラーを首相に返り咲かせ、独裁を許すことになりました。それを、国民は誰も止めませんでした。
 失敗のことばかり考えなくてはいけない世の中には、生きづらさを感じています。「昔の人だったらこうなったらもう切腹していたんだぞ」という声を心の中に作らせるように炎上させても良いことは無いと考えています。まずは何が緩和できるか、できる所から徐々にやっていくのが肝要でしょう。

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