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「自称進学校」の功罪

■はじめに
 大学に入って知り合いができると、早速挙がる話題は、「自分は "自称進学校" 出身だ」という話でしょう(これから大学に入られる現役中学生や高校生の方も、覚えておくと良いです)。
 「自称進学校」に定義はありませんが、素質があるかどうかわからない生徒をとりあえず受験で篩にかけて、つまりは真の進学校をに優秀な人材をことごとく獲得されているにもかかわらず、進学実績にこだわり、その、「東大に〇〇人輩出する」とか「医学部に〇〇人輩出する」とかのような目的と、「受験勉強(に限らず社会に出ても)自分を律することのできる精神を鍛える」という手段が入れ替わっているような学校を指すのだろうと考えられます。

■「自称進学校」のあるある
 (「自称進学校あるある10選/あなたの学校ももしかしたら!」に基づく)
 自称進学校のあるあるとして、以下のようなものがあるとのことですが、皆さんの出身校にもあったのではないでしょうか?

1.課題が異常に多い
2.長期休暇は必ず学校で講習
3.校内の進研偏差値が全国平均以下
4.文武両道
5.受験は団体戦
6.ベネッセの人が講演をしに来る
7.有名私立よりも地元国公立
8.授業プリントからほとんどでる定期テスト
9.臨時休校にならない
10.進研模試の結果で学年集会

 10は聞いたことがありませんが、1〜9はいかにも「自称進学校」らしい気がします。要するに、学校の「自己満足」ということなのでしょう。
 それから、校則が無駄に厳しいというイメージもお有りでしょう。

■「自称進学校」は善か?悪か?
 よく、日本人は白黒はっきり付けることを嫌う(避ける)と言われています。確かに、白黒付けるのが難しいものもありますし、白黒はっきり付けないからこそ生まれる美のようなものもあります。しかし最近、その、白黒はっきり付けてこなかったツケが回ってきているのではないでしょうか?お上の責任意識の無さ(責任逃れをする傾向)です。その原因を私は、自称進学校にあるのではないかと考えている(お上が決めたことには盲信させるようなマインドコントロール)のです。その意味でまず、私にとって自称進学校は悪です。
 ただ、自称進学校がやりたがることが、必ずしも全て悪かと言われれば、そうではないと考えています。それは何かといいますと、公務員という、『4種類の国家秩序』で私が定義する所の B の人生を全うする人間にとっては、「自由」はある意味余計なお世話ともいえるということです。昭和の時代は、これに加えて、民間の大企業勤めも B で、行動が制約される代わりに、与えられたものをすれば何とかなっていました。成果よりも秩序が重んじられたということです。その点、自称進学校的な教育は貢献したと考えています。
 しかし、今やその「日本的経営」は完全に過去のものとなりつつあります。「年功序列で定年まで働けば、老後に死ぬまで安泰で生きていられる」というのは幻想と考えた方が良いです。これは、女性のせいでも、外国(新興国)のせいでもありません。悪いのは、昭和の価値観を引きずったまま平成・令和の新世代に自分と同じ生き方を押し付ける大人たちです。『4種類の国家秩序』で私が定義する所の A に「戻った」(←詳しくは、『4種類の国家秩序』をお読みください)のです。
 このような世の中でなぜ、自称進学校は "4年制一流大学" の合格実績にこだわるのでしょうか?今や、Bコースは、公務員に限られると考えた方が良いです(もし窮屈でその対価も見合わない職場ならそれはO)。民間企業がBをしていては国際競争に必ず負けます。
 B はいわゆる「全体主義」(個 < 全体)を全うするというものといえます。また、Bが総じて好む人物は「楠木正成」です。ポテンシャルがあり、Oでもお上を見離さなかった姿勢(最後は壮絶な戦死を遂げた)を見習って欲しいということなのでしょう。「有能だけど、最後は湊川へ行ってしまう」、そういう人材ということです。
 しかしながら、国際市場は A でないと勝てません。「足利」や「織田」や「豊臣」のような、成果主義の要素を多く持った組織に優秀な人材が多く集まります(しかしパワハラは禁物)。この、「優秀な」というのはふわっとした表現だと感じています。「優秀」の解は本来、組織の数の分だけあると考えています。自称進学校が最も大事にしていることでは、A 的な優秀は難しいでしょう。大事なことは、結果(勝つこと)なわけですから。
 だからこそ、自称進学校は本来は、「〇〇大学校」のような、B な学校に人材を輩出することを目指す方が理にかなっていると考えています。勝つとか負けるとか、あるいは挑戦する(参加する)よりも大事なことがあるという信念が先走ってしまうのです。もちろん、人間社会の最低限のルールが大事というのは言うまでもありませんが、学校側がまともな説明をつけられないようなルールを未だに続ける(思考が停止している)のでは、ルールの価値が無いと思います。校則で縛るなら、なぜそうするかの説明のつくルールでなくてはいけないと考えています。
 以上を踏まえると、やはり自称進学校は "悪" だといえます。

■最後に
 これから中学や高校に入られる予定のある家庭は、是非一度、入学を検討している学校が A なのか B なのか をよく親子で一緒に研究してみてください。これが外れると、人生後悔する(させる)ことになります。学校は偏差値だけでは良し悪しは決まらないと考えています。良し悪しを偏差値中心に決めるのは受験産業(予備校)です。そもそも、学校の教科教育で「なぜこんな勉強をさせるのか意味がわからない」というものをひたすらガリガリ学ばせているのも、B を全うするための訓練の一つなのです。
 また、中学や高校を経て大学に入られたという学生の方は、自分の通ってきた中学や高校が A だったか B だったかをもう一度振り返り、自分には A か B のどちらのタイプの人間かを、就職活動のことを考える前に定めておくのが良いです。これを外すと、もっと人生後悔します。B な世の中では「周りがみんなそうしているから自分もそうする」のが良しとされますが、A な世の中でそれをやると大半がお荷物になり、マシな人生を送れなくなります。

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