(archives) [review] 『神聖かまってちゃん』 / の子 (rockin'onエントリー用) : Oct.2013

偉大なる「内弁慶」、ネット世代の引きこもりが変えた世界

「の子『神聖かまってちゃん』」という文字列の美しさが、あまりに鮮烈である。バンド”神聖かまってちゃん”の活動を経たうえでのソロ・アルバムに冠するタイトルとして完璧に全てを言い表している。小説を読み終えたあとで、タイトルの短いセンテンスに全てが内包されていたことに気がつき鳥肌が立つような感覚がある。

過去に”神聖かまってちゃん”名義で発表した楽曲群を、サポートミュージシャンを迎えてセルフカバーするというコンセプトで制作された本作において、本来のバンド名義で発表したバージョンと比較してアレンジや演奏の違いは当然ながら、楽曲に対するの子のボーカルに変化がある。トゲトゲしく、荒立ったような、もとの楽曲の破壊力をより高めるようなスタイルではなく、楽曲に対して改めて正面から向き合い、どっしりと歌っている。

元来、の子が作り上げた楽曲をバンドでアレンジしてプレイするというシステムであった”神聖かまってちゃん”の活動の中で、イメージどおりの完成を見ない場合も多々あっただろう。そのフラストレーションを解消する絶好の機会にも関わらず、いや、だからこそなのか、楽曲としての形を丁寧に守るように、の子は歌っている。

元来、”神聖かまってちゃん”とはその本質においての子の表現を具現化する装置であり、例え思いどおりにいかずとも、の子のためにあったのではないか。もし現在もそうであるなら、ソロとして思いどおりにアルバムを制作した時点で、その役割はほぼ御免となるはずだ。しかし、このアルバムのリリースを待たずして、”神聖かまってちゃん”はツアーに出た。ソロアルバムを制作しながら、の子はバンドとしての活動を求めているのか。もしそうであるならば、の子が、の子として希求する表現と、”神聖かまってちゃん”として希求する表現は、もう完全に別物なのだろう。

ひとりよがりのワンマンバンドとも思えた”神聖かまってちゃん”は、おそらくもういない。完全なる「フォーピースバンド」としての形を得た。そして、その違いを明確にするために、「の子=神聖かまってちゃん」であった過去を総括するために、このアルバムがある。

このアルバムからは、今後の”神聖かまってちゃん”に関するヒントが提示されている。

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