1997年5月6日『ややさん一家と』
1997年5月6日 『ややさん一家と』
11時起床。 疲れて疲れてのかどうかわからないが、なかなか起きることができず、ベッドの中で寝たり起きたりと繰り返していたら、いつのまにか11時になっていた。12時にチェーンセン・リバーサイドレストランにて朝食兼昼食をとる。
食後、ゴールデントライアングルへ向け3人で出発。上奈路さんと重本さんとは午前中、早く起きて山(寺)へ行ってきている。ヒッチハイクに成功しゴールデントライアングルへ(ヒッチハイクについては別の章を読んでください)。ゴールデントライアングルは想像以上に素晴らしかった。
帰りもヒッチハイクに成功し、ヒッチハイクの味をしめる。ゲストハウスに着くと川辺にたたずむ木村さんを発見。四人でしばらくの間メコンを眺めながら話し込んだ。
しばらくしてゲストハウスに帰り休んでいると、にわかに宿の前の通りが賑やかになってきた。近くの寺(となりにある)で、どうも祭りがあるらしいので3人で行ってみる。
すると急に後ろから若い女の子二人が、「日本の方ですか? 良かったら一緒に飲みませんか?」と話しかけてきた。一瞬、日本人かと思ったが話を聞いてみると、彼女(ややさん、21歳)は日本人男性と結婚し、チェンライに住んでいるタイ人の女性だった。そして今日は、一日いとこの女の子(12歳)と一緒にチェンセーンまで遊びに来てるらしい。
川辺へ行くと、人の良さそうな旦那さん(36歳)がゴザの上に座りビールを飲んでいた。メガネをかけた見るからに人が好さそうな、そして少し物静かな男性だった。
みんなで盛り上がっていると、ややさんが「これからチェンライにあるディスコ行かないか?」と言う。そして「自分の家に泊まればいい!」と言う。これに応諾するということはかなり“図々しい”と思われた。事実、旦那さんは少し困っての顔をしていた気がする。
しかしこの面白い展開は滅多にないと思われたため、「お願いします!」と我々はお願いした。午後 6時半、ややさん達が乗ってきたトラックにみんなで乗り込み、みんなでディスコへむけ出発した。
我々はトラックの荷台に乗ったが、今日荷台に乗るのはこれで3回目となる。実に気持ちがいい。しかし途中で雨が降ってきた。かなりのスコールだったが俺たちはトラックの人が乗るところの陰に隠れていたため、ほとんど濡れずに済んだ。トラックはタイの田舎道を順調に進んで行った。
ディスコは10時半頃にならないと人が来ないと言うので、それまでややさんの家で時間を潰すことにした。ややさん達の家はチェンライの郊外にあった。部屋は三つありかなり広い。これで300万円だという。シャワーを浴びさせてもらい、ライチを食べそしてファミコンをした。
そしてややさんはいろんなこと話してくれた。ややさんは4年間、日本で住んでいたことがあること。飲み屋で働いていたことがあること。ヤンキーもやっていたこと。昔はメガネをかけたような男が嫌いだったこと(旦那さんはメガネをかけたまじめタイプ)。しかし今はいい旦那さんに巡り会えてよかったと思ってること。旦那は33歳まで童貞であったこと。そして、ややさんが色々と教えてあげてこと。
10時頃ディスコへ向け出発した。ディスコは少し街からちょっと外れたところにあったが、ものすごくデカかった。たまに芸能人が来てショーもするらしい。ちょっと日本ではないような規模だ。
料金は外国人ということで150バーツも取られてしまった。大変な出費である。入った時は時間帯がまだ早かったのだろうか、かなり空いていた。踊っている人もほとんどいない。
ステージではバンドが演奏していた。タイ人のバンドであるため、あまり面白くない。11時30分ぐらいからだろうか、徐々に盛り上がり始めたのは、タイ人の踊りは思ったよりみんな上手くない。しかしその中でも日本のディスコで鳴らしたややさんは上手かった。我々の中では上奈路さんがかなり下手な踊りにもかからず、楽しそうにずーっと踊っていた。
ディスコを出たのは夜中に12時半頃だった。中がものすごくうるさかったので外に出た時は少しほっとした。いとこの女の子すごく眠そうである。その日はややさんの家、男組と女組に3人ずつに分かれ、別の部屋で眠った
1997年5月7日『ややさんたちとのお別れ』
6時45分起床。昨晩遅かった割にはみんな朝が早い。ややさんは6時頃に朝食の支度をしてくれていた。美味しいお粥をご馳走してくれた。朝食の時間はややさんが大好きだというシャ乱Qの曲がずっとかかっていた。
朝食後、旦那さんにチェンライのバステーションまで車で送ってもらい、また二日前と同じバスでチェンセーンに帰ることになった。チェンセーンに帰ってからは、だいぶ疲れていたのだろう、何もする気が起きず、ほぼ1日中 ピーピーの店で皆でたむろって1日を過ごした。
再び木村さんと会ったので、1日話しをして終わった。俺はかなり疲れていたので5時半頃には部屋に戻ったが、木村さんと重本さんはその後もチェンセンの川辺に飲みに出かけたようで、11時頃ぐらいまで話していたそうだ。