『バス騒動(サムソン⇒フエ)』 1997.5.28
『バス騒動(サムソン⇒フエ)』 1997.5.28
フエまで向かう長距離バスを待ってる間は、周りにいたベトナム人とたわいもない話をしていました。話しといっても別に彼ら英語を話せるわけではないので、身振り手振りで「ハノイからやって来て、これからフエへ行く」だの、ベトナム語ハンドブックを見ながら「お前は何歳だ?」と聞いたりするのです。
彼らは日本人がいるというだけで僕の周りに集まり、そして僕をネタにベトナム語で盛り上がっていました。このような際にいつも話のネタにされるのは僕の上の歯に生えている2本の八重歯でした。どうもベトナム人はこの八重歯を指して、僕が女の子のようだと言ってるようなのです。
今まで何度となくベトナム人から「お前は女か?」とか、「お前はオカマか?」などとからかわれてきました。それだけならまだ許せるのですが、どうもベトナムにはホモっ気がある人が多く、中には「You are beautiful」などと言いながら、僕のほっぺたにキスしてくる人もいました。アジアでは結構ホモが容認されているようです。
いいかげんにベトナム人の相手に疲れてきた頃にやっとバスが来ました。僕が乗ろうとしたバスはハノイ出発の長距離バスであり、僕はタインホアという田舎町から乗ったため、途中乗車という形になります。バスに乗るときは完全に停止せず乗りやすいようにゆっくりスピードを走ってくれるに過ぎないため、重い荷物を担ぎながら僕はどうにかバスに飛び乗りました。
乗るとすぐにバスの乗務員が乗車券を売りに現れました。乗車賃はいくらかと聞くと、「10万ドン」(約千円)だと言いました。先ほどバスを待っていた時に周りにいたベトナム人に聞いた時は、5万ドンとて言っていたので乗務員は2倍の料金を請求したことになります。しかしベトナムには“外国人料金”というものがあり、バスや列車はだいたい普通のベトナム人の2倍の金額を払うことになります。
とりあえず言われた通りの金額を払いました。バスの中には二十代半ばくらいの乗務員が3人ほどいましたみんな悪そうな顔つきをしていました。彼らは白いノースリーブスのシャツを着ていたので、全身に施した入れ墨がはっきりと見えます。果たしてフエまでたどり着けるか不安になってきました。
フエまではバスに12時間も乗っていなければ到着しないのです。すると案の定、先ほど僕から料金を受け取ったばかりの男が、「もう10万ドンよこせ!」と言ってきました。なんと理不尽な要求でしょうが。これはボッタくりというより恐喝です。「さっき、乗車券を買っただろ!」と私が言うと、その男は「ノー」、「もう10万ドン払え」と言い続けていました。
このやりとりの間にもう二人の乗務員が僕の周りにおり、そして彼らは僕のバックを勝手に開け始めました。そして隠してあったお金を取ろうとしたり、私の財布を開けはじめたりしました。“これはあまりにひどすぎる!” きっと彼らは僕のこといいカモだと判断したのでしょう。
彼らの無茶苦茶な行いには僕も呆れ果て、こんなバスの中では12時間も耐えられない。もう降りようと決めました。「もう降りる!」と彼らに言うと、「ダメだ、ダメだ」というふうに体で私が降りるのを阻止してきました。そして、それまで開いていたバスの出口を私が下りられないように閉じてしまいました。
僕もここで覚悟を決まました。僕はあらん限りの声で「トイス・オン」、ベトナム語で“降りる”とわめき散らしました。ベトナムで同じような状況が何回かあったので、大声は出し慣れていました。突然の僕の大騒ぎには、他の乗客、運転手、そして金を巻き上げようとしてきた彼らもかなりびっくりしたようで、意外にも運転手はすぐにバスを止めました。
そして私はすぐにバスの出口から荷物を外へ放り出しました。これにより、荷物と身の安全をとりあえず確保できたと確信したので、自分もバスから降りると同時に僕から金を巻き上げようとして男たちも一緒に降ろさせました。彼らは僕のこと“いいカモ”だと舐めてきたのです。
僕はめったに怒ることはないのですが、自分が舐められたような時は我慢がならないのです。「さっき払った乗車賃の10万ドンを返せ!」と言うと、「ノー」と言ってその男は返そうとしませんでした。そのやり取りの間にバスが出発してしまってはお金を取り返すこと不可能となってしまうので、その男をバスの前まで連れていき、とりあえずバスに出発させないようにしました。
そして僕は彼の胸ぐらをつかみ、彼の顔のすぐ前で「ふざけんな、テメー!金、返せって言ってんだろう!と日本語で思いっきり怒鳴ると、彼は案の定少し怯んだようでした。僕はこの時大声でわめき散らし、バスをガンガン蹴っとばしていましたが、冷静さは保っていました。
あくまでも暴力沙汰にはしたくなかったので、僕は相手の表情および出方を十分に観察しながら行動していたのです。この男の場合は、僕がこのような態度に出るということを想像してなかったらしく、かなり戸惑った様でした。
それを見計らって僕はここぞとばかりに怒鳴りまくりました。そして「何事がおこったんだ?」とバスの周りに集まってきたギャラリーに向かい、「皆、聞いてきれ、こいつはドロボーだ!」と、その男を指さし、こっちへ来てくれとオーバーアクションで周りにいるベトナム人に対して“日本語”で訴えかけました。
するとみんな“なんだ、なんだ?」とばかりに僕の周りにたくさんの人が集まってきました。こうなったらバスの乗務員は完全に悪者です。そうこうしているうちに2~3人の男が人混みの中から出てきて、いきなりバスの乗務員たちに対し”ガチャリ“と手錠をかけました。
ポリスが登場したのです。乗務員たちは人ごみの中、数人のポリスに連行されていきました。そして「君も一緒に来なさい」とポリスが手招きをするので、ついて行くとなんと歩いてわずか20メートルほどのところに警察署があったのです。それは交番といったような小さな建物ではなく、3階建てのコンクリートビルが大きな敷地の中に立っていました。バスの乗務員とっては何とも悪い場所にバスを停めたものです。
ベトナムのポリスは外国人旅行者である僕に対してかなり好意的に接してくれました。場所によってはワイロを請求したりすると聞いていたので、始めはポリスに対しても少し経過していたのですが、杞憂だったようです。バスの乗務員たちにかけられている手錠はかなり痛そうでした。彼らはもっと弛めてくれと涙目でポリスに対し嘆願するのですが、ポリスは一切彼らに情けをかけませんでした。
事情聴取は2時間ほどかかりました。バスの乗務員3人と僕、そして乗客二人より聴取したため時間がかかったようです。僕はてっきり英語の話せるポリスが呼ばれ、僕から事情聴取をするものと思っていたので、待ってる間にどのように英語で表現しようかと考えていました。
でも調査官はベトナム語しか話せない人でしたので、僕はすべてを身振り手振りで説明しなければいけませんでした。しかし僕は一人の男を指さし“コイツは財布からお金を取ろうとし” “コイツがバックのチャックを開け中の金を取ろうとした”などとジェスチャーで示すと、調査官はそれでも十分に理解してくれたようでした。
最後に乗務員の人が僕を指差し、「あいつ、俺の胸倉を掴んできたんだ」と、言ってきました。それを聞いた調査官が僕に、「それは本当かい?」と聞いてきたので、私は「そんなことしてません」と手を横に振り、そしてそう言ってきた乗務員を指し、「ふざけんな、そんなことやってないだろ!」と、調査室の中なので少し控えめに怒鳴ると、彼はそれっきり何も言わなくなってしまいました。
本当は彼の胸倉は掴んだのですが、体を傷つけるほど強く掴んだわけではないし、“それぐらいはしても構わないだろう”と思っていたので白を切りました。
取り調べが終わるとポリスは“ご苦労様”というふうに僕を見送ってくれました。そして“一緒に飯でも食っていくか?”と誘ってくれたのですが、とてもそんな気分がなかったので丁重にお断りしました。
乗務員たちはどうなったかって言うと、僕が警察署を出た時はまだ手錠に繋がれたまままで中にいたのですが、その後どうなったのか分かりません。僕は彼らに対する同情心は一切持っていませんでした。
彼は今までも相当悪いことをしてきたのでしょうし、これからもしかねないのです。今回の僕、被害額はそれほど大きくはないのですが、しかしもし僕が大人しくしていればきっとそれ以上の物が奪われていたのです。
警察署を出ようとした時、乗務員のうちの一人が“すまなかった”という素振りを見せたのですが、僕は「ふざけんな、てめぇなど一生ブタ箱に入っていろ!」と、日本語で小さく吐き捨て、彼の言葉を無視して出てきました。
ベトナムは疲れる国です。この国はいい人もたくさんいるのですが、一部に悪い連中がいると、どうしても全てのベトナム人に対して斜に構えざるを得ません。まだベトナムでは滞在予定の半分の期間を過ぎたのにすぎないので、残りの期間には是非とも本当のベトナム人、親切でフレンドリーな人たちとだけ接していきたいものです。
※1997年当時のベトナムはベトナム戦争が終わってからそれほど経っておらず、現在とは違いかなり荒っぽい雰囲気がありました。一般の人はとても親切にしてくれたのですが、外国人を相手に商売をしているほんの一部の人たちにこのような傾向があったのです。
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