1997年5月9日『最後のヒッチハイク』
1997年5月9日『最後のヒッチハイク』
今日はいよいよチェンセーンを去る日である。10時にピーピーの店で木村さんと会う約束していたのでそれまでに支度を整えておく。朝食をとった後、チェンコンまでのヒッチハイクを試みる。
やはり車なかなか止まってくれない。止まってくれてもチェンコンまで行く車は少なく、結局なかなか車はつかまらなかった。
タイの人は“ヒッチハイク”というものを、あまり知らないんじゃないのではなかろうか?僕らが手を振っていると、止まってくれる車は何台かあった。しかしみんな「なんだ、どうかしたのか?」というような顔つきをしている。
彼らは“乗せて行ってやろう”と思って止まってくれのではなく、「何かあったのか?何か困ってるのではないか?」と思って車を止めてくれているようなのである。
どうもヒッチハイクもう試みているうちに罪悪感を感じてきた。お金がないのならヒッチハイクも仕方がない。また金が少ない場合も仕方ない。しかし俺らは明らかに金を持っているのだ。また金を使うのが惜しいわけではない。単にヒッチハイクという手段によりチェンコンまでの道のりを楽しくしようとしているだけだった。
そのために俺たちは何台もの車を止めていた。無理やりに人の親切にすがろうとしていた。確かにヒッチハイクに成功したら、より旅は面白くなるのであろう。だがそれは一つの反則技であるような気がしてならなかった。
結局、1台のトラックと交渉の結果、我々3人で1000バーツでチェンコンまで乗せてもらうことになった。トラックの荷台からの眺めはソンテウ(タイのタクシー)よりははるかに良かった。
2時30分、チェンコンのゲストハウス着。この日が金曜日であり、土日を挟むためラオスのビザ発行は月曜日になるということ。何もない片田舎のチェンコンにて3泊もすることになってしまった。