1997.4.22 出発の日 ①
1997.4.22 『出発の日 ①』
4月22日。いよいよ出発の日がやってきた。会社を辞めたあとの日本の生活は思いのほか忙しく、毎日せっせと働いていたような気がする。出発する前には、そのときの心境等を書面に残しておきたかったのだが、とてもそんな状況ではなかった。
出発の用意は前日の夜にやっとどうにか終わったという感じだ。とても出発の感傷にひたっているような余裕はなかった。朝10時、いよいよ出発する時間となり、おばあちゃんが家の外まで見送りに来た。いまにも泣きそうな顔をしていた。まるで、もう会うのが最後であるかのように。
おふくろは駅まで自転車で見送りに来てくれた。おふくろとしても、しばらくの間会えないということで、おそらくとてもつらい心境だったのであろう。でも俺としてはたかが半年という気持ちでいるため、それほどこみ上げてくるものはない。
正直に言えば、大きな旅の出発というような気負いは全くといっていいほどなく、この気持ちは飛行機が飛び立ってもたいして変わらなかった。
空港に着き搭乗手続きを行うために列に並んでいたのだが、もうちょっとで俺の番というところで、どうも少し前の男が従業員となんかもめている。どうもその男(パキスタン人)の持っている荷物が規定の重量を越えているため、荷物代として追加料金が必要だったらしい。
べつに大した金額でなければそれほどもめないのであろうが、後になって一万円札を万枚も払っていたところをみると、パキスタン人の男にとっても交渉でどうにか追加料金を逃れようと必死になるほどの一大事だったのだろう。
とにかく俺はその男のとばっちりをくらったため大幅に時間がかかってしまい、昼飯を食べることができなくなってしまった。腹がすいたため俺はカリカリしていたのだが、それはプラス思考で「いやいやこのおかげで俺はいい席に座ることができるのかもしれない」と思い返し、どうにかイライラをおさえた。
俺は走るようにして飛行機に乗り込むこととなった。今回は旅のはじめである。俺は「どうにか隣には怪しい外国人などでなく、ステキな人が座りますように」とひそかに祈っていた。
飛行機に乗り乗客を見ると、やはりパキスタン航空だけあった、パキスタン人もしくはフィリピン人と思われる人がかなり多い。日本人は半分もいないのではなかろうか。中には女性は女性でも1歳にも満たない子供を抱いている女性が意外に多く(外人女性)、機内は子供の泣き声がこだましていた。
客室乗務員に教えてもらい自分の席に行くと、となりには日本人らしい女性が座っていた。どうも彼女は1人で来ているようだった。でも一人で東南アジアを旅するような女の子のは見えなかった。小ぎれいな格好をしており髪も少し茶色くそ染めておりキレイに手を加えてあるような感じだ。
いつ話しかけようかとタイミングを見計らっていると、彼女の方から話しかけてきてくれた。彼女は山崎詩子といって26歳。俺よりひとつ年下だ。ヘアメイクをやっていて、映画に出る俳優さんたちのメイクを行うという。彼女が最近仕事でやった俳優さんとその映画の名前を聞いたのだが、聞いたことがないため忘れてしまった。
今回の旅は1ヶ月でタイとベトナムを回る予定とのこと。出発の地がバンコクとなるらしい。
飛行機がバンコクに到着するのは夜の9時である。また市街地は空港から遠いこともあり、俺は当初空港で1泊しようと考えていた。しかし、彼女は前にもタイに来たこともあり、今回も以前に泊まったことのあるホテルへ今夜は向かってみるということなので、俺も一緒に連れていってもらうことにした。
~ 出発の日 続く ~