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89.恐竜村の記憶


 子どものころに行ったところや、会った人のことを、自分のほかは誰も知らない、覚えていないということはありませんか。
 ぼくにとって、それは栃木の恐竜遊園地です。
 ぼくには、鹿沼に親戚があります。5歳か6歳のとき、その親戚の家の近所にある、恐竜遊園地へ遊びに行った記憶があるのです。
 結論からすれば、過去、この地域に恐竜遊園地があった事実はありませんし、遊園地すら、存在しません。でも、明らかに、じいさんの軽トラックの荷台に乗り――したがって、おそらく鹿沼近郊の――恐竜遊園地に出かけたはずなのです。
 チケット売り場に、トリケラトプスや、ティラノサウルスの着ぐるみを着た職員が待っていました。じいさんがお金を払うと、卵色の鉄柵を開けてくれました。その人は、女の人でした。こんな着ぐるみを着て、真夏はどうするんだろう、と思いました。すると、女の人がじろりとぼくを睨みました。
 メリーゴーランドがありました。
 よくある、白馬のメリーゴーランドでした。なんだ、ラプトルじゃないのか、と思った記憶があります。子どもがたくさん乗っていました。ぐるぐるぐるぐる回っていました。お父さんが子どもの写真をぱしゃぱしゃ撮っていました。なぜか、メリーゴーランドに合わせて、職員のお兄さんがぐるぐる駆け回っていました。なにか紐のようなものを握っていました。お兄さんが、メリーゴーランド全体を回しているように見えました。
 観覧車がありました。
 巨大な観覧車です。観覧車があったのですから、いっときあった、ごくごく小さな遊園を、記憶違いで恐竜遊園地に錯誤している、という線はなくなります。
 ぼくは、じいさんに、観覧車は怖いから乗らないよ、と言いました。するとじいさんは、じいさんも乗らないよ、あの観覧車はおっかないから、と答えました。見上げると、観覧車の小窓から、たくさんの子どもが、外を眺めていました。雨を見る人のように、うつろな顔をして、なぜか、みんな浴衣を着ていました。いくつものぼんぼりが、輪になって回っているような観覧車でした。
 レストハウスがありました。
 中に、苦しそうに咳こんでいる子どもがいました。母親に背中をさすられていました。お父さんが、着ぐるみを着た職員と、なにか話し込んでいました。目を土産もの売り場に転じると、たくさんのぬいぐるみを大袋に入れて、ずるずる、引きずって歩いている女の子がいました。真っ青な顔をした、痩せた子どもです。袋だけが、むっちり肥っていました。じいさんに、あの子は、どうしてあんなにぬいぐるみを買ってもらえたんだろうと訊きました。じいさんは、子どもなのに死んだからだ、と答えました。ぞっとして女の子を見ると、足がありませんでした。
 食堂でカレーライスを食べました。
 あまりうまくないカレーライスでした。けれど、給仕の女の人が、何度も何度も、おいしいかと訊ねてきました。おいしいよ、とぼくが返すと、女の人はにっこりしました。それから、また顔を近づけてきて、おいしいかと訊いてきます。おいしいよと返すと、女の人はにっこりしました。それを何度も繰り返すうちに、カレーライスを食べ終えました。味のしない、へんなカレーライスでした。女の人は、ぼくを気に入ったのか、食堂の外までついてきました。見送りはここまででいいとじいさんが言うと、うちを教えてくれ、と真剣な顔で言いました。
 首長竜を見ました。
 首長竜は、大きな池の真ん中に浮かんだつくりもので、遠巻きに眺めて愉しむだけです。オブジェだとわかってはいましたが、首長竜に、おおい、と呼びかけました。すると、職員が走ってきて、起きるから大声は出さないで、と叱りました。じいさんもぼくも、きょとんとしてしまいました。
 夕方になり、帰る段になって、じいさんが、一人足らないぞと言いだしました。ぼくは、ぼくと、じいさんの二人で来たんだよ。足りているよ、と言いました。すると、じいさんは、そうだったかな、と言いました。そうだよ。それに、もしも置き去りになった子がいたら、今ごろ、泣いてこっちに駆け寄ってくるよ。けれど、そんな子は一人もいないのだから、二人で来たはずだと言いました。じいさんは、しかし、お前ひとりなら、助手席に乗せたはずなのに、荷台に乗せたなら、ほかに子どもがいたはずだ、とぶつくさ言っていました。
 帰り際、職員たちが見送りにきました。
 また、どうかお越しくださいと、いんぎんに頭を下げました。
 また来たいな、とぼくが言うと、職員の一人が笑って、いつもあるとは限らないんだよ。もう来るなよ、と言いました。

 これが、ぼくの記憶のすべてです。
 
 
 
 

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