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07.不徳をなじる魔湯!

 山陰の、ある鄙びた温泉宿は、知る人ぞ知る魔湯まとうをたたえている。
 近隣の村に鉄道が開通した昭和初期以来、この宿には、不思議と不徳の男女が流れついた。
 宿のほかは、人家も数えるほどで、交通の限られた山中とあっては密会に好都合であるが、それにしてもと、歴代の宿主たちは首を傾げてきた。
 1979(昭和54)年の、晩秋のことだ。
 道ならぬ恋に濡れた二人組が、この湿った奥座敷に這入りこんだ。
 先に、女が浴場へ行った。
 まだ上がらないだろうと、男が煙草をのんでいると、女が、泣きながら客間に戻ってきた。
 わけを訊けば、浴槽のおもてに、良人おっとの顔が浮かんだと言うのだ。良人は、人差し指を彼女に向け、なにごとかわめいていた。あたかも彼女を詰問するような剣幕に、思わず逃げ出したのだった。
 男は、女を慰めた。
 それは、良人に後ろめたく思う、きみの心が見せた幻覚だと言った。そうに決まっていた。彼女の良人は、海外駐留で、まだ当分、帰国の予定はなかったのだ。
 ところが、今度は男が震撼する羽目になった。
 なんと、男湯のみなもにも、彼の妻子の姿が浮かんだのだ。それも、妻は、彼をなじるような冷たい目で見、息子は泣きわめいていた。
 彼の説明は間違っていた。これは、幻覚には違いないが――後ろめたさの見せる幻覚ではない。なぜなら、浮気者の彼に、後ろめたさは微塵もなかったからだ。
 とまれ、二人は、湯を恐れる。
 山陰の晩秋、それも山中だから、凍える寒さだ。
 二人は、人肌で体を温めあう。
 この魔湯まとうが、一面、罪つくりの湯と囁かれるわけは、恐ろしいまぼろしによって、却って不徳の恋が強められるからだ。その代わり、もう後戻りはできない。
 この地に、どうしてこんな湯が湧くのか、誰も知らない。
 古い住民の話では、開発のときに壊してしまったが、昔は、近くに神社があったという。その神社の祀り神が、たしか、伊邪那岐と伊邪那美であったという。
 伊邪那岐と伊邪那美といえば、夫婦神めおとがみである。だから、いまだに男女の不徳を責めているのではあるまいか。
 

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