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04.おにぎり
「まあ」
母親の声で目が覚めた。
居間で、うたたねをしていたのだ。
「上がってください」
「なに、ほんの、顔を見にきただけだから」
「そんなことおっしゃらず。お父さあん」
「構わんでください」
俊郎は、ソファから立ち上がり、ドアの前で耳をそばだてた。
「たまたま近くに来たものだから」
「そうですか」
二階の書斎から、父親も降りてきた。
「やあ、これはこれは」
「久しぶりですな」
「ええ、ずいぶんでした」
それから、居間のドアが勢いよく開いた。
「俊郎」
「む」
「あなたも手伝ってちょうだい」
「なにを」
「おにぎり」
「え?」
「いつものことでしょう。さ、早くお兄ちゃんを呼んできて。お母さんはさきに台所に行きますから」
「…………」
わけがわからない。
わからないが、呼んでこいと言うのだから、呼びにいかねばならない。
居間を出て、ちらりと玄関を見た俊郎は、しかし、そこで目をみはった。
――男。
顔ぢゅう、ひげだらけの男だ。
おまけに、髪もぼさぼさで……
着ているものも、薄汚れている。
まるで浮浪者としか言いようがないのであった。
それなのに、父親は、男が以前からの知り合いであるかのように、気さくに話している。いや、いくらかへりくだるように、頭さえ下げているのだ。
「――あの人、だれなんだ?」
おにぎりを握っている最中、俊郎は、二人に訊いた。
だが、母親も、兄の司郎も、なにも答えなかった。
忙しくてそれどころではない、といったようすなのだ。
だから、仕方なく、俊郎もおにぎりを握った。
結局、炊飯器の米をすべて使って――
20やそこらのおにぎりができあがった。
それを、今度はお櫃に入れて、母親は男に持たせたのである。
「いやあ、いつも申し訳ない」
男は、いんぎんに頭を下げた。下げた拍子に、男の頭からふけが落ちた。
「今度は、いつ来られますか」
父親が訊くと、男はかぶりを振った。
「状況が状況だから、いつとは言えませんね」
「やはり、悪いですか」
「ここが踏ん張りどころでしょうな」
「困ったら、いつでも立ち寄ってください。あなたには、たいへんお世話になったんですから」
男は、お櫃を抱えて、帰っていった。
父親も、母親も、司郎も、男の姿が見えなくなるまで見送った。ひどく名残惜しそうだった。
それから、みんな、家の中に散っていった。
兄は、二階の勉強部屋に。父親は書斎に。母親は台所に。
俊郎も、居間に戻った。
ソファに寝そべり、夕方まで眠った。
男の話題は出なかった。
お米を炊いたはずなのに、なくなっていると母親が言い、夕飯はうどんになった。