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74.神になったハタロー
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1942(昭和17)年のことだ。青森の某村に、不思議なニワトリが生まれた。ニワトリは、生後2日で親鳥と同じ体格に成長し、さらに2日すると、倍の大きさになった。家の者は恐ろしくなり、絞め殺して食ってやろうと思ったけれども、その矢先に鳥小屋を脱走し、行方不明になった。
戦争のどさくさが落ち着いたころ、1957(昭和32)年のことだ。村の羽田山の登山客が、妙な生き物を目撃した。それは、身の丈2メートルを超える雄鶏で、急斜面の岩場を、足早に駆け降りていったという。下山して、すぐに駐在所に連絡したが、犬鷲ではないかと一蹴された。だが、明らかに、猛禽類の見た目ではなかったという。
ほかにも、中腹にある避難小屋で寝ていたら、屋根の上を大きなものがドンドンと歩く音がしたとか、小窓の向こうからこちらを覗きこむ鳥の目が見えたとか、朝方、耳をつんざくようなニワトリの鳴き声が聴こえたりとか、食糧が食い荒らされたとかいった噂は絶えなかった。
いつしか、謎の巨鳥は、羽田山のハタローと名付けられた。ハタローの噂は新聞雑誌に載り、テレビの取材が来た。いわゆるハタローブームの到来である。ハタローを一目見てやろうと、何日も、羽田山に逗留する者が続出した。羽田山は、物見遊山の対象となった。静かな山はかまびすしくなり、登山道は荒れ、花は摘まれ、ごみは遺棄され、排ガスが空気を汚した。
とうとう、羽田山の神は、ハタローを殺すことにした。ハタローは、山の神の計らいで、崖地にうがたれた窪地を、ずっと棲家にしていた。そこを唐突に追い出され、真冬の、吹雪の中を歩くうち、衰弱死してしまった。だが、ハタローの魂は、まっすぐに山の神のもとに昇っていった。山の神は、ハタローを眷属として、今後も山の守護神のひとつにするつもりだったのだ。むごい殺し方をしたのは、その方が、清い魂になれるからだった。
前世紀のうちには、ハタローのことを噂する人はいなくなった。羽田山に静寂が戻った。今では、あえて登ろうと思う者は、登山好きでも少なくなった。
だが、登山客は、聴くだろう。朝焼けの照らすいただきに立ったとき、影もなきハタローの、コケコッコーと鳴く声が。