【車中泊旅2024夏7/2~】7/6 Day5:とっぷり出雲観光、出雲そばランチ、玉造温泉、夜は自炊で宍道湖シジミ汁
今日の観光は出雲大社、出雲大社にゆかりの深い稲佐の浜、出雲大社に関する展示もある「島根県立古代出雲歴史博物館」。そこまで観光したら、出雲そばをランチで食べるという出雲三昧な日。お風呂も三種の神器にある勾玉を造っていたという由来の玉造温泉に入りました。
稲佐の浜に行く途中には、後に歌舞伎となるかぶき踊りを創始した「出雲阿国(いずものおくに)」のお墓もあったりして、なかなか面白かったです。
観光後には道の駅に立ち寄って、宍道湖の「大和シジミ」を買って宿泊場所で自炊シジミの味噌汁。朝から晩まで充実の出雲・宍道湖体験ができました。
〇稲佐の浜
稲佐の浜は、出雲大社の駐車場から歩いて10分くらいの場所にあります。浜にも無料駐車場があるので天候によっては車で行ってもいいかもしれません。朝7時半に訪れたのですが、駐車場には既に大阪、広島、九州ナンバーの車が何台かありました。おそらく、ここで車中泊している人も少なくないんだろうと推測しています。
さて、この浜は天照大神(アマテラスオオミカミ)の使者としてタケミカヅチが訪れた場所です。この浜でタケミカヅチは剣を抜いて柄を浜に立てて上に向かっている剣の切っ先の上に胡坐をかいて座り、大国主命に「天照大神が孫に国を譲れとおっしゃっている」と告げたとされています。もう、その状況だけでかなり脅している感じですよね。
タケミカヅチは大国主命の息子たちとも話をして、抵抗した息子の一人を諏訪に追いやって降参させました。こうした状況になって、大国主命は国を譲る事を決意。その代わりに大国主命は神殿に祀られることになりました。大国主命を祀っている神殿が出雲大社というわけです。因みに駆逐された息子は諏訪大社に祀られています。
これらの神話的な内容は「日本書記」や「古事記」に記載されているそうです。
これに加えて、私が知っている話としては大祓祝詞があります。神主さんが地鎮祭で唱える「祓い給え、清め給え」っていうあれです。あの内容は「天孫降臨」の時の話になっています。冒頭部の話はこんな具合です。天上に住む神々が集まって、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫に豊葦原の水穂の国(日本)を統治させようと決めます。それを日本各地に告げたところ、各地の神々は荒れ狂ったので、天上の神々は地上の神々を説得し、服従させ、ある場合は討伐して平定しました。地上の神々で文句を言う人がいなくなったので、天照大神の孫(ニニギノミコト)は天から地上に降臨しました
出雲の国譲りの話と大祓祝詞に出てくる天孫降臨を合わせて想像すると、大国主命は荒ぶる地上の神の一人だったんだろうなと思うわけです。
大祓祝詞では荒ぶる神たちを、天上の神は「説得しまくり、ある場合は討伐しまくって」としか書かれていないのですが、出雲の国譲りの話ではとても具体的に息子をどうやって降参させたかのエピソードが書かれているのが面白いですね。
今朝は曇っていて空は鉛色、風も強くて荒れ狂った灰色の海には白い波が噛みつくように浜に押し寄せてきていて、まるでタケミカヅチが大国主命に国譲りを迫っているような迫力ある風景でした。浜の目の前には大きな弁天岩という岩もあり、これもまた神話の世界への想像を搔き立てる風景でした。
もっとも、ここはいつもいい波が起こっているせいかサーファーさん達もたくさんいます。おどろおどろしい神話の世界を想像しつつも、目の端に写るサーファーが、古と現代の二つの浜の姿を見せてくれているようで面白いですね。
〇ちょっと寄り道「出雲阿国」
出雲大社から稲佐の浜に向かう途中に「出雲阿国の墓」がありました。出雲の鍛冶職人の娘で巫女でもあった「クニ」。出雲大社の修復費用を寄進してもらうために、京へ行って踊りを披露してお金を集めた時、この踊りが大人気となり後の歌舞伎にまで発展したと墓の横の説明に書かれていました。
出雲阿国の踊りが後の歌舞伎になったという内容は、歴史の教科書で読んだとは思いますが、その踊りの目的が出雲大社の修復費用を稼ぐためだったとは知りませんでした。そういえば「出雲のおクニ」だもんねぇ。出雲大社と関係があったというエピソードで腑に落ちました。
おクニさんのお墓の周りにはミュージカル団体からの寄付による石灯籠なども立っていて、未だに芸能の先輩として人気がある事を伺わせていました。
〇出雲大社
さてさて。大国主命を祀った出雲大社に戻ってきました。
先ほど記述した国譲りの神話や大祓祝詞に出てくる高天原は、現実としてはどういう歴史のできごとだったかと考えられるか?という研究も最近では進んでいるようです。茨城県にある鹿島神宮の主祭神はタケミカヅチという事から高天原は関東地方にあったのだという説があります。
関東地方では、縄文時代後期から弥生時代初期にかけて寒冷化の影響で人口が減ったりしたそうです。この事態の解決として西側の温暖な地域への集団移住を行ったという史実が、国譲りの話になったのかもしれないという説は説得力があります。
いずれにしても、神話として語られている物語には何かしらの事実があって、それに装飾をつけて現代まで語り継がれているとしたら、一体事実はどういう事だったのかと思いを馳せるのは、とても興味深い事だと思います。
出雲大社は中央に大国主命をお祀りするご本殿があり、ご本殿を取り囲む板塀の中には入れない構造になっています。この板塀の周囲には、様々な神を祀る社があり、それらは近寄って見る事ができました。
私が面白いと思ったのは十九社。他の社が三角屋根の一軒家とすると十九社は数軒が連なった長屋状の社。何故かというと、年に一度11月に神様がここに集まる時の宿舎だからだそうです。偉い神様は個室なんですけど、八百万の神となるとドミトリーじゃないか!というのが非常に面白く感じられました。
また、大祓祝詞に出てくる「祓(はらえ)のやしろ」も大祓祝詞を覚えていた私には興味深い社でした。ここに祀られている4人の神様は、人々が犯した罪の穢れを祓ってくださるようにお願いした時に出てくる神様です。1人目の神様が罪を山から海、二人目が海から地底、三人目が地底から根の国・底の国へと渡して行って、最後に4人目の神様が根の国・底の国で罪を消滅してくれるという話。一人の神様ではなく4人の神様が順番に自然の中で罪を清めていってくれるという話が、いかにも日本的だと感じています。罪を消滅してくれる4人の神様を祀っている社に出会えた。嬉しい気持ちになれました。
ヤマタノオロチを退治したスサノオの社もあったりします。出雲大社は日本人として日本に生まれて生活してきた人にとっては、これまでで見たり聞いたことのある神様に出会える場所だという気がします。
〇島根県立古代出雲歴史博物館
こちらも出雲大社から徒歩圏内で行けます。美しい緑の植栽の向こうにガラスと錆びた鉄で造られたシャープな建物が見えました。設計は槇文彦さん。代官山にあるヒルサイドテラスや、幕張メッセを設計した建築家で、こちらの博物館もスキーっとシャープな氏の建築テイストが感じられました。
中の展示は出雲大社についてと、出雲の風土記について、弥生時代の発掘調査など古代全般についてです。無料で貸してくれるオーディオガイドを全て聞くと1.5時間かかると言われました。
興味を引いたのは、創立当初の出雲大社についての想像レプリカ。出雲大社は60年に一度建て替えられているのですが、必ずしも同じ建造物を踏襲しているわけではないそうです。知らなかった。江戸時代初期、江戸時代中期には描かれた絵画が残っているので、それを見ただけでも全く違う形の建物になっている事がわかります。様々な資料から、最初に建立された出雲大社はどのような建物だったのか。5人の現代の建築家による三者三様のレプリカの展示が面白かったです。
その中の一人のレプリカは10分の1の巨大模型として博物館内に展示されていて、この展示が来館者に一番の人気でした。私が訪れた時はアメリカ人の団体観光客と一緒だったのですが、老いも若きもカメラをマシンガンのように連射したり、舐めるように映像を撮り続けている人が多数いました。やはり長い歴史への憧憬が強いのかなぁと思うと、日本人としては誇らしい気持ちになりましたね。
弥生時代の発掘品から当時の市場の様子を再現した展示もありました。肉、野菜、魚介類など現在に引けを取らない豊富な食材が並ぶ市場は、この地方の豊かさを物語っていました。
思ったよりも展示数が豊富な博物館です。興味がある方は、たっぷり時間を割く予定にしておいた方がいいと思います。
〇出雲そば
11時オープンのお店なのですが、博物館の展示を終えてぶらぶらと店まで来たらまだ10時半。外に出しているメニューでもチェックしようかと店に近づいたら「営業中」の札がかかっていました。どうやらフライングして30分早く開けてくれたようです。店内に入ると私たちは2番目のお客さんでした。
出雲そばは円柱状の丸い重箱「割子」に入ってやってきます。私は蕎麦の味をよりよく味わいたかったので、薬味だけの割子そば三段。夫はそれぞれの割子にとろろ、温泉卵、揚げ玉のトッピングが乗った三色割子そばにしました。割子そばは一段目に薬味とそばつゆをかけて頂きますが、余った汁を次の段に入れて食べ継いでいくという食べ方も特徴的でした。
出雲そばは玄そば(殻のついたままの蕎麦の実)を挽いた挽きぐるみという製法で作られます。何もつけずにツルっと口に含んで噛み締めて飲み込むと、鼻から蕎麦の香りが抜け、舌には甘さと渋みが残ります。日本酒でいったら色んな雑味もあるけど旨い、純米酒という感じでしょうか。3段のうち1段はそのままで食べちゃいました。
さてさて、蕎麦というと長野県が産地だと思うのですが、なぜここ出雲で蕎麦が名物なのか。それは江戸時代初期1638年に信州松本藩から松江藩に転封となった松平直政がそば職人を連れてきて広めたためだそうです。本場長野直伝だからこそ、日本でも有数のそば処となったわけですね。
お店を出る11時15分にはお店の外には15人ほどが行列を作っていました。早く到着してラッキーでしたね。
〇道の駅湯の川
次の目的は、夕飯用のシジミ。宍道湖近くの道の駅とくれば売っているだろうと訪れたら、案の定ありました。宍道湖のシジミは「大和シジミ」と呼ばれていて、大粒の特大は500gで1200円。Mサイズは650gで1000円、小粒は1000gで1000円。ということでLサイズ650gを買いました。
〇玉造温泉ゆ~ゆ
勾玉を造っていた事から玉造という地名になった場所にある温泉。建物はバブル時代っぽい巨大で奇抜な建造物。5階建ての最上階に温泉がありました。湯舟が勾玉の形になっているのがご愛敬。サウナや露天風呂や打たせ湯もありました。
〇自炊シジミ汁
本日の停車場は「宍道湖ふれあいパーク」という宍道湖沿いの公園駐車場。トイレ棟のない側の駐車エリアは人が少なくて過ごしやすかったです。こちらで買ってきたシジミを使ってお味噌汁、そして鍋でご飯を炊いて食べました。650gを使ったお味噌汁はさすがにシジミの味をとっくりと味わう事ができまして、美味しかった!
さて、明日は松江観光。お城、お城を取り囲む江戸時代のお屋敷見学、そして小泉八雲の博物館など盛りだくさんな一日となりそうです。