もらいすぎているなと思った僕とあなたへ。
はじめに
このnoteは、まずは、ぼく自身のために書きました。
調子が悪いときに、
自分の価値や可能性を少しは信じ直せるように。
調子に乗りすぎているときに、
プロセスの大切さをパッと思い出せるように。
でも、ぼくは自分だけのためにはそんなに頑張れなくて。
(小学生の時から、「髙宮くんは周りの子の手伝いばかりして、自分の片付けが全然終わりません」と先生に言われていたそうです笑)
だからもし、他にもぼくと同じような感覚を抱いていて、悩んで苦しんでいる人がいたら、そんなあなたの味方に少しでもなれたら嬉しいと思って、あなたを「いいわけ」にさせてもらいながら書きました。
ありがとうございます。
不器用ながらも、できればお互い元気でいましょうね。
僕の現在地
まずはじめに、自己紹介を少しだけ。
髙宮大史(たかみやひろふみ)です。
みんなからは「たかみー」と呼ばれています。
仕事は、もともと学校の先生を志していたのですが、訳あって塾講師からキャリアをスタートし、現在は一般社団法人HASSYADAI socialというところで、他社や行政と連携する事業部のリーダーをしています。
大阪府出身、東京都在住。血液型はAB型。好きな食べ物は麺類全般。歌うことが好きで、運動と早起きが苦手な28歳、水瓶座の男です。
僕が、このnoteを書こうと思ったきっかけは、
周りにいる大切な人と、そして大切な自分と、
うまく話ができなくなってしまった
不器用な自分の存在に気づいたからです。
優しい人に、不要な心配をかけないように、念のため書いておくと、僕は今、とても幸せな環境で日常を送っています。
大好きで、尊敬できる仲間と一緒に、ワクワクすることに挑戦しながら、自分の思うように、時間を目一杯熱中できる仕事に注いでいます。
でも、気がつけば仕事ばかりしてしまうので、ちょっとバランスが悪く見えてしまうかもしれません。
ただ、取り繕う必要もないほど、僕の所属しているチームは素敵です。
代表の三浦は「俺達はかっこいい奴らの集まりじゃない。かっこよくあり続けたいと思う奴らの集まりなのかもしれない。」と言っていました。
本当に誇らしいチーム。
仲間一人一人のことを尊敬しているし、
そんなみんなの仲間でいられてよかったといつも嬉しくなってしまいます。
友だちや、尊敬する人や、可愛くて仕方がない後輩たちともたくさん出会えたし、その出会い一つひとつが、一人ひとりの人生が、僕にとって大切です。
でも、そんな素敵な仲間や大切な人から受け取る言葉や愛に、思ったような反応を返せない自分がいる。
いつからかなぁ。
誕生日おめでとう!や、
たかみーありがとう!や、
好きだよ!愛してる!!…。
本当に嬉しくて幸せな言葉たち。
でも、そんな言葉や愛を受け取ったとき。
彼らと時間や空間をともにした素晴らしい体験を終えたとき。
うまく笑ったり、泣いたりできないときがあったり、「ありがとう」は咄嗟に出てくるんだけど、
その後の言葉が続かない自分に、戸惑ってしまう。
もともと感情表現が上手な方ではないんだけれど、それにしても「なんで?」って思ってしまう。
自分のために選んでくれた大切な言葉なのに。
きっと本心から愛情を注いでくれているのに。
僕も、その場をこころから楽しんでいる仲間なのに。
人のことをちゃんと好きなのに。嘘ではないのに。
ぼくのきもち
振り返れば、ぼくの人生そのものは、順風満帆とは言い難く、
思春期に重なった親の離婚・再婚や、
大学時代のうつ病経験、
長く勤めた最初の会社とのすれ違いなど、
別にありふれているかもしれませんが、
自分なりには苦労もそれなりにしてきたなと思っています。
大好きな人たちと一緒に、大切だと思える日々を過ごすことができている。
これは決して当たり前じゃないし、僕だけの努力によって手に入れたものでもないです。
むしろ、ぼくが認識している・していないにかかわらず、たくさんの人がぼくに与え続けてくれている奇跡のような時間なのかもしれません。
そんなぼくが受け取っている有形・無形の愛を、
本当にありがたいなと思うと同時に、それがいつか壊れたり、なくなったりしてしまうのを、とても怖いとも思います。
なんでこんなに怖いのかな。
分からないながらに出したぼくなりの暫定解は、
「120%で返せる自信」がないから。
関係を終わらせたくなくて、資本主義での交換的なやり取りにしたくないから。
無理やり結びつけるわけではないけれど、
引っ越しや、環境の変化が多い人生であったこともあり、ぼくはきっと、「おわかれ」や「おわり」が怖いんだと思います。
「ちゃんと休んでね」と仲間や大切な人から気遣って言ってもらえることも増えて、本当にありがたいと感じる一方で、休んだり立ち止まったりすることが、もったいない、もっとみんなと一緒にいたい、一緒にいられる自分でいたい、と思っているんだと思います。
僕の人生のお守り
そんなぼくの、あなたの側にいて、
もしかすると、味方になってくれるかもしれない言葉を置いておきます。
あなたが、人生のお守りとして大切にしている言葉も、ぜひ思い出して、
そっと近くの紙に書いてみて数日置いておいたり、よかったら僕にも教えてください。
きっとあるはず。すぐに思い出せなくても、ゆっくり探してみてください。
言葉はいいですね。
脳内でも、紙に書いても、スマホのメモ帳でも、iTunesでも、かんたんに携えていける。
本当は、一部だけ切り取った言葉だけじゃなくて、
文脈や、物語全体が、
音楽や、写真や映像や、アート作品が、
側にいてくれる人の表情や声色が、
様々なものが、あなたの手の伸ばせる範囲にあって。
でもね、これらを、あなたはいつでも、
受け取っても、受け取らなくてもいい。
受け取って消費するのではなく、
持てないほど受け取ってしまって溺れるのではなく。
快く受け取れる自分になるまで。
あるいは、
あなたにそれをくれた誰かや、
あなたがもらったそれを待っている次の人に、
気持ちよく渡せる人になる日まで。
時間がかかってもいいよ。
全部手に入れようとしなくてもいいよ。
あなたは、
あなたがあなた自身の価値を低く見積もるときのあなたほど、刹那主義でも薄情者でもないし、完璧じゃないからあなたなんだよ。
だから受け取れるものもあるし、こぼしちゃったりもするわけだし。
あなたの「人生のお守り」はきっと、これからの人生でも更新されていく。
そして、あなたの味方はあなたが思っている以上にたくさんいる。
あなたがこれまで、こわごわ抱えながらも大切にしてきたもの、あなたがいま感じている、周りの人との様々な気持ちのやりとり、あなたがこれから出会うであろう、新しい人や機会や自分自身。
だから、あきらめずに、
自分を責めたり、価値を低く見積もったりしすぎずに、
怖がりでも、できれば元気でいてください。
おわりに
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
最後に、僕の好きな漫画で、「お守り」についての素敵な解釈だなと思った物語があったので引用します。
本当にありがたいことに、
僕にはたくさんの「お守り」的な存在が周りにいてくださっています。
僕も誰かの「お守り」になれていたらとても嬉しいです。
どうか、これからもよろしくお願いします!