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日本人は自分がマイノリティであるという当たり前の事実を実感していない
日本国内に住む日本人は、
自分が世界ではマイノリティであると気づかない。
私も、海外に移住するまで、そんなことは考えなかった。
その必要もなかった。
しかし、それから約20年が経ち、日本と世界の状況は変わった。
アフリカのマリ共和国出身で、日本で大学教授を務めるウスビ・サコさんは、著書「不自由な社会で自由に生きる」の中で、
「故郷にいたときは、自分がアフリカ系(黒人)であると意識したことはなかった」と書く。
アイデンティティとは、そういうものだ。
サコさんも、留学生として異国へ行って、
初めて「アフリカ系である自分」を意識したのだろう。
じゃあ、日本に住む日本人は、
自分がマイノリティであると気づかないままでいいのかというと、
ここまでテクノロジーが発達して世界との距離が近くなった今では、
その感覚が世界とずれていることを自覚しないとヤバいと思う。
例えば、私たちは海外の映画や本に触れてきた。
映画館で上映されているアメリカ映画の主人公は
ほとんどがヨーロッパ系(白人)である。
最近では有色人種の登場も増えたが、そのほとんどは脇役に留まっている。
それは社会の構造上、仕方のないことかもしれない。
有色人種は侵略された歴史があり、
先進国ではマイノリティの立場に甘んじている。
そのことを構造的差別と呼び、
人々の無意識にまで浸透している偏見のことを
アンコンシャス・バイアスと言う。
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でも、海外(欧米)に住む日本人は、映画を見るまでもなく、
自分が白人たちにとって「脇役」であることを自覚するだろう。
私たちは白人と決して平等ではない。
その感覚は、現実の表面である社会のシステムに留まらず、
人々の無意識にまで浸透している。
平等ではない、というのが事実で、
「多様性」は「平等ではないという事実を否定せず、
その状況を改善していく」ということに他ならない。
(人間の価値の話ではない。社会の中でのステイタスの話である)
つまり「平等にはならないが、なるべく平等に近づけていく」
ということだ。
そのためには教育が必要だ。
人間の無意識にある差別を意識化していくこと。
差別が存在すると認識すること。
もちろん、場所によって差別の種類は変わる。
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実際、私はアジア系の多い高収入地区に住んでいるので、
人種差別を感じなくて済む。
でも、例えばイギリスの田舎とか、アメリカ中南部など、
白人が多い地区に住む日本人は、自分が「異質な存在」
もっというと「劣った存在」とみなされていることを
ひしひしと感じるだろう。
ニュージーランドは世界の中でもかなり多様性に配慮している国なので、
例えばニュースのキャスターにしても、
白人だけということはほとんどない。
なるべく画面が白人だけにならないよう、
番組にしてもコマーシャルにしても、先住民のマオリはもちろん、
インド系、アラブ系、アジア系など有色人種が映るように配慮されている。
広告のモデルにしても然り。
あらゆる人種や体形のモデルがいる。
その努力は、確実に人々の無意識の偏見をなくしていくことに
貢献していると思う。
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私は移住当時と比べて、ここ10年ほどで、
アジア人への偏見が劇的に減ったと実感している。
娘が中学生のとき、ヨーロッパ系(白人)の友達を家に呼ぶときに、
リビングに飾ってあった、着物を着た七五三の写真を娘が隠すのを見て悲しく思った。
クラスメイトにからかわれるからと、
ランチにおにぎりや巻きずしを持っていくのを嫌がり、
ほぼサンドイッチだけしか持っていかなかった。
日本食が世界でポピュラーになった今では、
おにぎりをランチに持って行く子は羨ましがられるようになった。
今、高収入バリキャリ20代になった娘は、
日本に帰国するたびに着物や浴衣を大量に買って帰るようになった。
SNSのプロフィール写真も着物を着た写真にしている。
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日本ブームはここ数年のことだが、
2000年代に入ってからの中国の発展と経済力が、
世界のアジア人全体の地位を上げたのは、紛れもない事実である。
経済力は強さであり、ときに暴力になる。
それでも、社会の構造はあまり変わっていない。
企業のトップのほとんどが白人男性に占められているのは、
ニュージーランドでも同様だ。
その不平等な社会の構造に対して、
日本人があまりにも無知で無頓着なことには、危機感を覚える。
白人が主人公のドラマを見ても、
私は自分のことのようには感情移入できない。
それは「彼ら彼女らから見た世界」の話であって、
私の側から見る世界とは違うからだ。
「有色人種の友達や配偶者がいるから私は差別していない」と
思い込んでいる彼らの無神経さも好きになれない。
私が海外で差別されていると感じているわけではなく、
ただ「感覚が違う」と感じているのだ。
私のアジア人の友人たちともその話題で共感し合う。
アジア人の地位向上と共に、私たちはヨーロッパ系とは違う、
自分たちの価値観に自信を持ち出したと思う。
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日本は急激に国際化している。
外国人と接し、英語が必要な場面も増えてくるだろう。
そのときに、日本人としてのアイデンティティをどのように持つか、
世界の中の日本人の立ち位置をどれだけ客観視できるかが試されている。
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