“女子”と呼んでいいのは何歳まで?
大人の女性が自分のことを「女子」と言い、男性もまた「女子」と呼ぶ。そんな風潮がいまでは一般化しています。
でもやっぱり、ヘンな呼び方だなと思う人はいるんですよ。
これは〈熟年「女子」たちの半グレ集団化が止まらない〉というコラムの一節です。著者は亀和田武氏。もうちょっと見てみましょう。
このコラムは今から8年前、2015年「SAPIO」4月号に掲載されたものです。亀和田氏がこれまで掲載してきたコラムやエッセイ、軽評論などを集めた書籍『雑誌に育てられた少年』の中で見つけました。値段は高いけれどめちゃくちゃ面白いんです、この本。
8年も前に書かれたコラムなのにいまでも自然に読めます。しかも私、大笑いです。女性差別でもなんでもない、モヤモヤしたものが亀和田氏の鋭い観察眼でスパッと斬られる気持ちよさ。
いい年した女性が「女子」なんて言うと、私だって心の中で「オバサンやん」とツッコみます。そんな私が自分のことを「女子会」「女子トーク」って平気で言ってる。湾曲的ではありますが。
十分、「女子」毒が浸透してますね、私メも。
♣︎女性に許された低年齢化
大人女性を「女子」と呼ぶことで、低年齢化、堂々と若作りして良し!みたいな空気感が生まれました。キャピキャピ、ルンルン。亀和田氏のコラムには、こんなふうにも書かれています。
あれまあ、その通り。開き直ってぐうの音も出ません。
私とて、アンチエイジングというキーワードにはめっぽう弱い。YouTubeで「1日3分で10歳若返るトレーニング」みたいなサムネがあれば、とりあえず見る。
こういう動画の対象年齢って、ほとんどHanako世代とその予備軍です。
パッパパッパとお金を使う、流行と情報に敏感なHanako世代(1959〜64年生まれ女)。
予備軍(1965〜69年生まれ女)だって似たようなもの。
私を含め、女友だちのほとんどがこれらの枠に該当するのでよーくわかる。
大体、「少女以外も女子」なんて感覚、自然発生的に生まれたとは思えません。どうせメディアがつくりだした流行でしょうよ。
お金を使うHanako世代とその予備軍を中心に、アンチエイジングに精を出してもらい、その成果を見せびらかせたいファッションやらランチやら趣味やらで夢いっぱいのキャピキャピルンルンを提供してさらに消費させる。
そしてエセ女子たちは見事にその仕掛けにはまりまくっているのです。
♣︎自分を「女子」と呼んで魔法をかける
女同士でのランチの約束「女子会」は、ちょっとしたイベントです。
高級ホテルやレストランの予約サイト「一休」なんかに精通している仲間の誰かが店を予約。その店に行くと、女子会しているオバサマ方がウヨウヨいます。若い世代、ほぼいませんね。笑っちゃうほど。
値段も当然のように高額で、オフィスランチみたく1,000円台なんてありえません。見かけはオシャレなメニューでも、味は可もなく不可もなく。それでもゴージャス感があればOKとする、さすがHanako予備軍世代。
私だけが毎回、毎回、文句を言ってる。だって夜飲みより高いことあるんだから。大して美味しくもないのにさ。おい聞いてるか、エセ女子どもよ!
じゃあそんな「女子」たちはアホなのか。いえいえ、そんなことはありません。一緒にランチする彼女たちは本当に楽しそうだし、愚痴を言ってもカラカラ明るい。
彼女たちはダンナの浮気調査の中間報告とか、証券会社の担当者にクズ株掴まされたとか、悲惨な話題を最高のエンターテインメントのように語ります。大笑いして発散する方法を知っている。余裕のよっちゃんなのであります。
この太っ腹、全然「女子」じゃありません。苦労して悲しい思いをしているに決まっている。日々戦い続け、それでも家族を愛し、笑って暮らせる術を知っている。老成ですよ。何が「女子」か。
彼女らはみんな自分を「女子」と呼びます。スマホで日経読みながら「私の女盛りを返せ」と喚き、それでも「もうひと花くらい咲かせるワ」「仕事もやめない」と、女子キーワードを武器にとことん明るい。
女子という言葉が何かの希望と可能性を与えていることは確かです。要するに気分ですよ。心の持ちようでシアワセ気分は手に入る。
どこがアホなもんか。あっぱれです。メディアが作り出したマーケの罠にはまりながらも、逆利用して生きている。中には年下男と再婚した猛者もいる。そんな攻勢のエセ女子もいるんです。
言い方悪いですね、尊敬を込めてミドル女子と言い直しましょう。
♣︎されど年齢を認めたプライドを
そんなわけでアンチエイジングによる「女子化」を、私は滑稽だとは言いきりません。女は強し。それでもいいでしょ。
その一方で、亀和田氏がコラムで書いていることにも深く思いを馳せるのです。
「男性も女性も、年相応にプライドを持って生きるのは、なんと困難な事であることか」
これです、これ。
年相応のプライド。なんと重い言葉でしょうか。50越えでも、60、70越えたって若く生きるのは素晴らしい。でもそれは、若さに迎合するんじゃありません。
自分が歩いてきた轍がある。その歴史に若者は追いつけません。失敗も戸惑いも悩みも感動も憤りも喜びも、感じ歩いてきたひとつひとつにプライドを持って生きたいのです。
そんな大人であれば、「女子」と呼ぼうが「女性」と呼ぼうが、男なら「男子」でも「漢」でも「オトコ」でも。
呼び方なんてただのスタイルだと、笑い飛ばせてしまいそうです。
*記事本文中に使用した写真は個人所蔵のバービー人形です。
*Barbieは米国Mattel社の登録商標です