マンガから読書、旅、まさかの大人買い。読書の連鎖はアグレッシブ 〜序章〜
時は2,000年過ぎ。
今から20数年前、私は奈良に足繁く通っていた。
飛鳥時代の仏像をちょっと邪に楽しむためである。
きっかけは山岸凉子の傑作漫画『日出処の天子』だった。
この漫画単行本に夢中になり、
主人公の厩戸王子(後の聖徳太子)に魅了され、
漫画読了後は聖徳太子と法隆寺探求に没頭し、
それが仏像への興味と繋がった。
ついには「仏像鑑賞友の会」というサークルをぶち上げ、カメラマン志望のオナゴと2人で私は会長、彼女は顧問という役職で寺院巡りと撮影に邁進していたんである(会員は我ら2人のみ)。
もちろん、推し仏像に会うのは大きな目的。
法隆寺の釈迦三尊像・釈迦如来をバチ当たりにもシャッくんと呼んでホレボレし、イチオシは憂いを含む美少年フェイスと肢体の阿修羅、ニオシは流麗なるプロポーションに目を奪われる百済観音と、ミーハー丸出しな活動に明け暮れていた。
そして事件は起こるのである。
奈良中心街には、何軒もの骨董品屋や美術商店が建ち並んでいる。
そのうちの1軒で魅惑の彫像に出会ってしまった。
その店には、百済観音像と阿修羅像のレプリカ彫像があったのだ。
作家ものの見事な一品にシビれまくる。
さあどうする、どうする。
2日にわたり、この葛藤に悶え苦しんだ。店で時間をかけて眺め続ける女に、店主はモミ手。
「どないだす、ええもんでっしゃろ。はよ、お決めやす」
美術品だからそれなりに高額である。騒動買いできるシロモノではない。
そんな現金はもちろん持ち合わせていないのだが、東京・奈良間を夜行バスで往復するほど費用ケチっているのだが、店主はローンの説明を浴びせてくる。
最初はただ見とれていた。
次第に買うかどうか迷い始めた。
ついに、阿修羅像にするか、百済観音像にするかで迷い始めた。
私の人生訓は「迷ったら買え」。
後で欲しいと思ったとき、そのブツはもう無いことしばしばなのだ。
清水の舞台から飛び降りる勢いで、百済観音像、購入決定。
こちらを選んだ決め手は、えーっと・・・
阿修羅像より安かったから・・・。
それでも高額。また頑張って働くさ。
さて、入手したローン百済観音像をご覧あれ。
棚置きの全景はザツいのだが、アップの写真はなかなかのもの。
冒頭でも記したとおり、百済観音を購入したのは『日出処の天子』を読んだことがきっかけである。
読書の連鎖というのは恐ろしい。
次回はこの続きで読書連鎖の系譜を記そうと思う。
今回は序章、次回が奔流。だからじっくり書いてみたい。
読書というのは、思う以上にアクティブでアグレッシブなものなのだ。
では、予告編的に次回記事の目次を掲載して、本日はこれにて終了。