第1回 戸塚区・名瀬町で、“街の歯医者さん”になったワケ
突然ですが、みなさんは、「戸塚」という街にどんなイメージをお持ちでしょうか? 戸塚とは、横浜市戸塚区のことですが、多くの方がイメージするであろう、横浜の都会(みなとみらいや、中華街など)的な感じとは異なり、戸塚はどちらかというと長閑で、いわゆる住宅街。ベッドタウンとしても人気のエリアです。
そしてここ戸塚区には「高松歯科医院」という歯医者さんがあることをご存知ですか?名瀬町という地域に在り、あまり栄えていない時代から、戸塚の人々のお口の健康を支えてきた、老舗の歯科医院なんです。
ご挨拶が遅くなりました。私、高松歯科医院で受付として勤務している山本と申します。このnoteでは、高松歯科医院・院長である高松朋矢先生を突撃取材!高松歯科医院のこと、そして高松先生のことを、詳しくお伝えしていきます。
戸塚やその近辺に住んでいるけれど「高松歯科医院」を知らない方がほとんどかと思います。ぜひこのnoteを読んで、当歯科医院の魅力を知っていただけたら嬉しいです。
そして「歯医者なんてどこも同じでしょ?」と思っているそこのあなた! 私も、高松歯科医院で働くまでは、そう思っていましたよ(笑)。でも、全然、違うんです。
院長の高松先生の話を、これから何回かに分けてお届けしていきますので、すべてを読み終わった後、あなたの歯医者のイメージは良い意味で180度変わっていると思います!1回目の今回は、高松院長が歯科医を目指したきっかけや、高松歯科医院の院長になるまでをお伝えできればと思います。
口腔外科医時代の挫折体験が、“街の歯医者”へと導いてくれた
―― 初回は、院長がどんな先生なのかトコトン掘り下げていくので、よろしくお願いします!突然ですが、高松歯科医院って昔からある歯科医院なんですよね?
そうなんです。高松歯科は、私の両親が開業した歯科医院で、40年以上、ここ名瀬町で“街の歯医者さん”として、地域のみなさまに支えられてきました、今の場所に移転したのは、約2年前。移転した今も、両親の代から通い続けてくださっている患者さんが、数多くいらっしゃいます。
――ということは、先生は二代目先生なんですね。もしかして、小さい頃から将来の夢は歯医者さんでしたか?
それが、自分が歯医者になるなんて思ってもみなかったんですよ(笑)。昔の自分が聞いたら、絶対に驚きますよ。ずっとラグビー 一筋のスポーツ少年で、勉強はあまりしないタイプでしたから(笑)。中学・高校の6年間、スポーツ強豪校である桐蔭学園のラグビー部で、毎日泥だらけになって練習していました。
当時の夢は、アスリートのケアやサポートをする仕事に就くこと。しかし、残念ながら第一志望の大学への進学は叶いませんでした。受験にも失敗したし「もうラグビーしかない!」と、高校最後の1年間は練習にひたすら打ち込み、全国大会出場も果たすことができました。
ただその反動で、部活を引退した瞬間、燃え尽き症候群になってしまって……。その時両親に「気晴らしに大学受験では歯学部を受けてみたら?」と言われたんです。やるだけやってやろうと、1ヶ月間めちゃくちゃ勉強したら、まさかの合格。
ずっと憧れていたスポーツ関係への道はあっさり断たれたのに、歯学部にはすんなり受かってしまって。「もしかして向いているのかもな?」と思ったんです。その時にはすでに「歯医者になってみよう!」と前向きな気持ちになっていましたね。
―― そんなきっかけだったとは……。大学卒業後はご両親が経営される高松歯科医院に就職されたんですか?
いえ。総合病院の口腔外科に勤務していました。実家に戻ったのは約6年前です。もともと地元で働くことは考えていなかったのですが、命との関わりが深い口腔外科という場所が、つらくなってしまって……。
―― どういうことでしょうか?
私が歯科医師として大切にしている部分に、「患者さんとじっくり腰をすえて付き合っていきたい」という思いがあるんです。重病な患者さんであればあるほど、気持ちに寄り添って治療に取り組みたい。でも、どうしてもお別れがあるわけです。当時、上司や先輩から「気持ちがもたないから、深く付き合わない方がいいよ」と言われたこともありました。
でも、一度関わった患者さんには感情移入してしまうことがよくありました。そんなことが続くうちに、治療をする上で私が大事にしたいことを、口腔外科で続けるのは、難しいのではないか?と感じ始めたんです。迷った末に、自分が理想とする医師であり続けるために、実家に戻ることを決意しました。
―― 実家に戻ると伝えた際のご両親の反応はいかがでしたか?
「え?!戻ってくるの!?」でした(笑)。ただ、両親も高齢になってきていたので、徐々に業務を縮小していこうかと考えていたタイミングだったようです。2015年に高松歯科医院に戻り、両親と3人で再スタートしました。
二代目としての葛藤。そして、大きな目標
―― ついに、高松歯科医院の二代目が動き出したと。わたしなんかは親がサラリーマンなので、家業のある方って楽しそうでいいなと思ってしまうのですが、実際どうなのでしょうか?
よく言われるんです。でも実家を継ぐ歯科医師ってあまり多くないんですよ。家族だからといって治療方針が同じとは限りませんからね。親と比較されるプレッシャーもありますし、しがらみのない他のクリニックで働く選択をする方も多いようですね。
―― それでも実家を継ぐと決心した理由って、なんだったのですか?
両親からは「自由にやっていい」と言われ、100%任せてもらえたことが大きかったですね。「患者さんと近い距離感でじっくり取り組む」という私の目指す治療を、地元である名瀬町であれば始められるなと。あとは、両親が長年かけて築いてきた地域の人たちからの信頼を、私が引き継ぎたかったというのもあるかもしれません。
ーー 私が働く前の話ですが、高松歯科医院は、もともとは、別の場所にあったんですよね?今の場所に移転を決めたのはなぜですか?
以前の場所は古いマンションの2階にあり、エレベーターがないため、階段を使わなくてはいけませんでした。足腰に不安のある方にはつらいでしょうし、内装もいわゆる“昔ながらの歯科医院”だったので、設備面でも物足りなさがありました。
地域の方々にもっと気軽に訪れてもらうために、2019年10月に移転を決意。そして、代替わりをして正式に私が院長になったのは移転の翌年、2020年8月ですね。
――新生・高松歯科医院が誕生したわけですね!院長が治療で特に大切にしていることはありますか?
口腔外科医時代、がんに苦しむ患者さんを多く診てきた経験を活かし、がんの早期発見のために口腔ガン検診をスタートしています。あとは、親知らずの抜歯など、口腔外科に特化した治療は私の強みでもあるので、そこには力を入れています。
―― 口腔外科医の頃に多くの経験してきたからこそ、できる治療があるのかもしれませんね。他にも大切にしていることがあればぜひ教えてください。
当医院のキャッチコピーでもある、「生涯、自分の歯で!を目指す」を念頭に、患者さんの健康にじっくり関わっていきたいと考えています。
一般の方はあまり知らないようですが、歯というのはカラダ全身と関わりか深いんですよ。健康な歯を維持することで、病気の予防になったり、健康寿命を伸ばすことができるようになったりするんです。
ですから、虫歯治療だけをする「点」の解決ではなく、カラダ全体の「健康維持や予防」、つまり「線」や「面」のサポートを通して患者さんの健康に真摯に向き合っていきたい。日頃から、そう強く考えています。
【後記】
初回は、高松院長が、“戸塚区名瀬町の歯医者さん”になるまでのお話をお聞きしました。
口腔外科医として総合病院に勤務していた頃に体験した、出会いと別れ、そして、挫折。さまざまな経験を経て、現在の、人間味のあるあたたかい治療方針が確立されていったんですね。
さて次回。高松歯科医院では、一体どんな治療が行われているのか。そして高松歯科ってどんな歯医者さんなのか?をもっともっと詳しくお届けしていく予定です。来月の更新をお楽しみに!
◎ 戸塚区名瀬町にある“街の歯医者さん” 高松歯科院のHPはこちら。
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