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【海外の街を歩く】ローマを歩く(その6)
2015年9月23日(水)、イタリア旅行6日目。
この日は、ローマ国立美術館の見学から開始した。
ローマ国立博物館
ローマ国立博物館(Museo Nazionale Romano) は、1911年にイタリア統一50周年を記念して開館した博物館で、古代ギリシア・古代ローマの彫刻、壁画、考古遺物などが展示されている。
博物館はローマのテルミニ駅近くにあり、古代ローマのディオクレティアヌス帝浴場跡に建てられ、20世紀末まではこの浴場跡を主たる展示館としてきたが、建物の老朽化や博物館施設としての不備が指摘されていたそうだ。
そのため現在は、近接するマッシモ宮(Palazzo Massimo) と市内ナヴォーナ広場近くのアルテンプス宮(Palazzo Altemps)に彫刻、壁画などの主要な陳列品は移され、そちらで公開されているそうだ。
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ディオクレティアヌス浴場
ディオクレティアヌス浴場(Thermae Diocletiani)は、ローマ帝国四分統治時代の最初の東の正帝ディオクレティアヌスが306年に建設した公衆浴場で、東ゴート族が水道を止めた537年のローマ包囲戦までの230年に渡って使用されていた。
ローマ帝国でも最大かつ最も豪華な浴場だったそうで、3,000人を収容することができたそうだ。
中世になると浴場の建物は教会などに流用されたため、かなりの部分がそのまま保存されているそうだ。
確かに遺跡は、カラカラ浴場より壁面や部屋が残っており、歩いてみると古代の浴場の様子が感じられた。
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ミケランジェロが建設したサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂では、「ミケランジェロの回廊」と呼ばれる回廊がある。
この回廊はミケランジェロが1564年に亡くなったために、弟子のヤコポ・ドゥーカが師の構想を引き継いで、1565年に完成したものだそうだ。
回廊には、遺跡の出土品も並べられていた。
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ティベリーナ島
ティベリーナ島(Isola Tiberina)はテヴェレ川にある中洲の島。
全長270メートル、最大幅が67メートルある。
紀元前291年に、医学の守護神アスクレーピオスを祀った古代ギリシア時代及び古代ローマ時代の聖域であるアスクレペイオンが島の東側に建てられ、病の治癒を祈願する人が訪れる治癒所として機能した。
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サン・バルトロメオ・アリソーラ教会(Basilica di San Bartolomeo all'Isola)は、かつてアスクレペイオンがあった場所に、神聖ローマ帝国皇帝オットー3世(在位 983年 - 1002年)により10世紀に創建された教会。
古代ローマ時代、ティベリーナ島のこの部分は船の舳先に模して大理石貼りとされていたそうで、教会の周囲には現在でもこの大理石舗装が残っているとのこと。
1118年に第160代ローマ教皇パスカリス2世により修復され、さらに1180年にも修復されているそうだ。
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ファーテベネフラテッリ病院(Ospedale San Giovanni Calibita Fatebenefratelli)は、1584年に設立し、現在も機能している病院。
第二次世界大戦では、「K症候群」という架空の伝染病感染者を隔離しているという偽情報を流し、ナチスによるユダヤ人狩りから逃れ、助けを求めた人たちを匿ったそうだ。
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