お前って誰なん?4
どうも!高倉JB珈琲のらいです。
高倉JB珈琲復活の物語にいつたどり着くのか不安でいっぱいのらいです(←自分次第やろ!)
さて、そんなこんなで(←どこかでいつも見る?聞く?フレーズ 笑)、昨日のつづきです。(←昨日の記事はココ)
日本にいる先輩と電話やメールでやり取りをして、調査した結果は、これまでコーヒー(←レギュラーコーヒー)で食中毒を起こしたケースは見当たらなかった。当時インターネット上に資料らしき資料はなく、保健所などにも問い合わせたが、やはり提出できるような資料は無かった。
仕方がない。現状をそのまま伝えるしかない…。
やはり、先輩からも「電話で直接伝えるとか、部長経由で社長に伝えても、門前払いは確実と思うから当たって砕けろ!」とアドバイスされ、一時帰国の予定を企てることにした。詳しい内容は忘れてしまったが、来期黒字化の目途が立ったビジネスの詳細を社長に報告を一時帰国の第一目的にして、自社工場(中堅商社には珍しく自社工場を持っていた)商品の原料を中国で調達できる可能性の打合せ、東京支店で取り扱いしている商材の中国輸出等を主な帰国理由とし、今回の最重要課題である新商材の案件の許諾を得ることを最終目的として帰国をする予定を組んだ。
当時の私は年間日本滞在日数はお盆とお正月休みで合計12日間程度(←これが離婚に至る大きな原因の一つでもあるのだが…それはまた別の機会で。ってその話聞きたい?笑)であったことからすると、今回の一時帰国は、異例と言えば異例だが何度も言うように黒字化に目途は立ったが、より地盤固めをする必要があった。そのため、中国国内出張はもとより、日本出張も今後は増えることは簡単に予想はできたので、今回の一時帰国はその第一弾的な意味合いも含まれていたと記憶している。
もろもろの案件をこなしながら、社長と話が出来る機会を伺っていた。さすがにこの時点で部長に報告しない手はないので、相談という形で部長と事前に打合せをした。やはり、部長の意見も社長と同じで、「人の口に入れるモノはアカンやろ。もし何か(←食中毒)あれば、吹けば飛ぶようなウチみたいな小さな会社は一発で終わりや。が社長の口癖やからなぁ。これまで何人も社長に話を持っていったけどれもアカンかったから、難しいやろ。」と…
私は、「はい。そうですね。」とは引き下がれない。
「マーケティング的に現状の中国のコーヒー市場は日本と違ってPLC(←プロダクトライフサイクル:詳しくはグーグル先生に聞いてください。笑)上の成長期に入ったばかりです。上海では、「俺(私)、コーヒーが飲めるほど、お金持ってるねん!」的なお金持ちのステータス的な飲料となって来ています。ただ、実際お店で出てくるコーヒーは、部長もよくご存知の通り、ただの「黒いお湯」で超不味い。そこで、私が日本から持参していた自家焙煎のお店の店長に頼んで、ある日本食レストランでランチのサービスでお客様にお出ししているコーヒーを私が持参しているコーヒーに変更しただけで、前月比173%アップ、次月200%アップというデータもあり、これは中国人が飲んでいるというよりは、中国へ出張に来ている日本人を含めた外国人(←コーヒーの味を知っている人達)が、あそこのレストランのコーヒーは美味しいというほぼそれだけの理由でこのような数値を出しています。なので、ターゲットはまだ中国の方ではなく、中国に出張に来ている、あるいは、駐在している外国人となり、卸先は、まずは日本人が利用するホテルの和食レストランだと思って少し動いたのですが、経営者が中国の方の場合、そもそもコーヒーの味を知らないので、たとえ日本円で15~25円/杯でも輸入品でコスト高になるコーヒーを切り替えるというのは現状難しいと分かりました。
それで、別の手を考えていたんですが、先ほどの知り合いのレストランさんが凄い流行っていて、それもコーヒーが美味しいという噂が立って、中国の某大手企業の上海総合マネージャーの耳に入って云々・・・。(前回詳しく書いているので気になる方は、ココでご覧ください)
なので、今回の帰国でその店長(日本で私が購入している自家焙煎珈琲屋さん)に交渉してウチ(中国の現地法人)が中国総代理店という契約をすでに巻いて、入金・支払いはもちろん、出荷・輸出・輸入・中国国内輸送体制としては、社長の許可が出ればいつでも動ける状態になっています(←ザ・段取りのらい)
部長:「それで値段合うの?」
私:「合わなければ、動いていませんし、初回ロットで2000万の案件ですよ。合わなければ合わしています!」
と、これまでの経緯を詳しく私は部長に説明した。しかし、あまり良い反応は部長からは得られなかった。部長のオーラは、私を後押しして、社長に目を付けられるのを恐れている雰囲気が出ていた…。当時の本社社長は、今で言うと、Mr.パワハラ、ザ・パワハラな方でした。
少し話は飛びますが、入社後3年以上経たないと海外出張が出来ない社内ルールのなか、入社後2年で初めての海外出張の許可を得るために部長と一緒に社長室に行った時(←当時部長はまだ課長でしたが私を後押ししてくれました)に、
社長は、開口一番、「お前(←私のこと)、一人で海外行けるんか?」と。
私:「はい!今から行け!と言われれば今から行きます!」
社長:「そうか。まぁそのためにお前ら海外部の連中を飼ってるんやから(←海外部はペット扱い)当たり前やな」
で、話は終わり。めでたく社内ルールを破って2年で海外出張が決まった瞬間でした。そんな社長でした…。(←想像できるかな?笑)
話を戻します。そんな社長のことですから、これまで頑なに「口に入れるモノ」を許さなかった案件をそう簡単にOKを出すはずがありません。今なら社長の弱みをガッツリ掴んでおいて交渉に臨むことも考えますが(←黒らい)、当時はまだ私も若いので、正面突破しか考えられませんでしたし、今思えば、仮に当時の私が弱みを握りにいっても、簡単に見透かされそうな気がしています。
本社の片隅のデスク(←駐在員のデスクは通常はないので、帰国時は余っているデスクを使用していました)に座っていると、総務部から内線があり、「社長が今なら大丈夫だと仰っています」と。いよいよ社長の時間をいただける時が来ました。
部長にお声掛けすると、「この後お客さんやねん」と(←えっ!お前一緒に来てくれへんのか!)
私:「えっ?この間お伝えした通り、2000万の案件ですよ。それも年間ではなく1回で。それでもですか?」
部長:「ごめん、お客さんやから」(←この時、初めて部長はすでに社長のイエスマンになっていることに気付きました。気づくのが遅すぎ…笑)
先輩の方を見ると、呆れ顔をしている・・・
私はあからさまに、先輩の方に行って内緒話的なポーズを部長に見えるようにする。(←部長に先輩は私の味方だとアピールするために。今さら遅いですけどね。笑)
仕方なく、準備した資料を持って、一人で社長室へ向かった。
つづく・・・(←早く続きを書けよ!笑)