【映画エッセイ】劇映画「沖縄」一部を鑑賞し、考えた色々について
ちょっと前に宮古からお友達がきており、「これ見に行くんです!」とのことだったので便乗鑑賞!
こちらは佐々木愛さんがダブル主演をつとめる公益社団法人日本劇団協議会 劇団文化座公演『しゃぼん玉』記念企画の上映会で、なんと無料。ありがたい!公演「しゃぼん玉」も面白そう。詳細は以下よりごらんください。https://www.nahart.jp/stage/1730962629/
制作年は1969年ということは撮影時は完全に復帰前の話。なのに撮影禁止だった基地にもカメラをむけているし、なにより戦闘機の時間もあらかじめ調べてタイミングをあわせて撮影したという・・・まさしく命懸けではないでしょうか。はい。そういうことを行う映画人がいらっしゃんだなぁと胸熱でした。
内容も、土地闘争の話であったりそのひぐらしの青年たちが多く戦果アギャーなどで逞しくしたたかに生きている現実であったり詳細に描かれておりやはりムネアツでした。
数々の有名な俳優さんが出演されていて(宮古の知的な友人に教えてもらってわかる・恥)内容も違和感はほとんどなく、当時の沖縄をよくあらわしていたのでは、と感じた。
1969年だったのでカラーフィルムはできていたはずだけれども、白黒になった理由があり、一部の映像を奄美で撮影しなければならず「あわせるため」だったらしい。そのような意外な発見も知ることができてよかった。(ダブル主演の佐々木愛子さんがそう話されていた)
アマゾンで主人公たちの10年後を描いた2部がみれるそうだ。(会場で会った喜舎場さんから教えてもらった。)
めっちゃみたい!なぜなら、当時この作品がでたころは、「まだ1972年に復帰する」なんてほとんどだれも思っていなかったはずだから、、まだ米軍統治下にある沖縄が描かれているのだ、多分。見たら、追加でこの記事に感想を書きたいと思う。
ところで、多分映画は米国統治下にあった沖縄において米国民政府とうまくやってる沖縄人たちを悪役にしたてている。もしかしたら、撮影が可能だったのも「住民同士の争い」を描く内容であり米国の植民地政策上OKな内容だったのかもしれない?とか。もちろんこれは今だから言える、という部分もありつつ、頭の片隅でそう考える自分もいた。
というのも・・・(もちろん、だからといって占領下で行われた、そして今も続く人権侵害や事件事故などが存在していいといっているわけではない、ことを大前提として)戦後、本土や米国と交渉する沖縄出身の知識人層が、不当に偏見の目で見られてしまった部分も少なからずあるのではないか、と思っている。
私は、沖縄復帰の年にできた沖縄国際大学の出身で、この2年間卒業生の集まりの「校友会」の広報部長を担当させてもらった。それが縁で沖縄国際大学の創立にも大きくかかわった石垣島出身の大浜信泉氏の功績を知った。日本の大学の設置基準にみたない2つの4年生私大の行く末を心配し、国家予算をつけて統合を行うことを提案したが、当時両大学はこのことについてまるで日本政府の教育への圧力だともいいたげに、相当にもめたことが、母校創設にかかわる記事など調べながら知った。
(大浜先生が心配したのは、沖縄の私大の将来でもあるが、一番は、そこに通う何千人学生の将来だったと思う。ただ、当時の地元私大にその、一番重要な視点がぬけおちていななかったか?それが一番気になった。統合あと約束していたはずの学び舎の提供や図書や建物の提供もほぼ行われず、その負担は学生にいかざるをえなかった。誰が一番に沖縄の学生たちの未来を考えていただろうか?当時、スキャンダラスに掻き立てたメディアなどにも問いたい気持ちが残った。
私はギリギリ復帰後の生まれだ。なので「日本人である」という意外の選択肢(たとえば当時行政機関であった琉球政府とか?の管轄となり「日本人じゃないかもしれなかった」場合の自分をほとんど想像できない。(当然といえば当然だけど)
が、この映画「沖縄」が撮影された当時は、想像力豊かであったであろう脚本家でさえその未来が想像できないような現実が「沖縄の日本復帰」だったわけである。不思議だ。だから意外とその「パラレルワールド」はニアミスで存在しえたわけだよなぁ?とも思ったりする。
(以下はこここの1〜2年、色々考えてることをごちゃまぜにかく)
早稲田大学総長をつとめ、沖国大の開学、復帰時の教育格差解消に一役買った大濱信泉氏も、ウルトラマンを生み出した金城哲夫氏も、作曲家の金井喜久子氏も沖縄のために良かれと思ってがんばったすごいひとたちである。だけど、その度に、当時の沖縄の民には、あまり共感はもってもらえず、どこかで傷心の気持ちを強くしたのではないか、という印象がある。(あくまで印象)
(あ!なぜこの流れになったかというと映画「沖縄」の中での性格の悪いインテリ沖縄人が「色白のメガネの本の虫の知識人」いうキャラで、ルックスがどこか大浜先生に似ていたことがひっかかった。なのでこのような発想になった。単なる偶然だと思うのに単純すぎて、ごめんなさい。汗)
当時は沖縄人差別も多くあったなか、本土という修羅場で、離島出身であることのハンディもなんのその、本土の人に負けず劣らず突き抜けて成果をだし、総理大臣からひと目おかれる唯一無二の存在になり、努力と挑戦を積み重ね、沖縄の立場が少しでもよくなるよう、がんばってきた大浜信泉先生。金井喜久子などの音楽家も応援した方でもあり、きっと心強かっただろう。
復帰50周年の特集でも、地元マスメディアは全くふれることがなかった大浜信泉先生。あらためて、その存在の歩んだ功績を、かえりみる必要があるんじゃないか…とも映画をみながら、すこし隅っこで考えた。