たかこそうそう

ちいさなこどもたちと過ごす毎日を続けて30余年。 その間に母が認知症になり、看取りました。 わたしのちいさな世界を言葉に残してみようかな。。。 そんな思いで始めます。

たかこそうそう

ちいさなこどもたちと過ごす毎日を続けて30余年。 その間に母が認知症になり、看取りました。 わたしのちいさな世界を言葉に残してみようかな。。。 そんな思いで始めます。

最近の記事

  • 固定された記事

たかこそうそうと申します(^^♪

どうしてわたしが たかこそうそう になったのか? 少しおはなしさせてくださいね。 ちいさなこどもたちと関わる毎日を続けて30余年。 そんななかで出会った成長のゆっくりな、はずかしがり屋の男の子。 「たかこそうそう」・・・その彼がわたしのことを初めて名前で呼んでくれました。 せんせいではなくそうそう・・・?? 同僚がその理由に気づいてくれました。 「そうそう、それでいいんだよ」 「そうそう、だいじょうぶ」 「そうそう、できたね」 わたしと彼のやりとりをそばで見ていた同僚

    • おじいちゃん、これをぬか喜びって言うんだね。。

      雪の便りが聞かれる頃になると思いだすおじいちゃんとの思い出があります。 6歳頃だったのではないかなあ・・・と思うのですが、当時アノラックと呼んでいた冬のコートを着たわたしと母の手編みの帽子をかぶったおじいちゃん。 アノラックの色はペパーミントグリーンでした。 その頃は赤やピンクが主流だったように思いますので、選んで買ってきた母は、おしゃれさんだったな~と思います。 ああ、わたしも母の手編みの耳もあごもすっぽり隠れる帽子をかぶっていましたっけ。 ある日、おじいちゃんに連れら

      • 母を想う⑮からすのお宿

        40年ほど前のこと、高校生の頃の話です 「ただいま~」 奥の台所から聞こえる「おかえりなさ~い」の声。 おかあさんの顔を見てもう一度 「ただいま~」 [おかえりなさ~い」 「お腹空いた~、ひとつ食べていい?」 返事を待たずにつまみぐい トントントンと階段を上がり自分の部屋へ かばんを置いて着かえましょ 開けっ放しの障子戸 電器をつけましょ んんっ⁉ んんっ⁉⁉ んんっ⁉⁉⁉ 電器のかさの上になにか・・・なにか・・・なにか ねこ~~⁉⁉⁉ 障子戸を

        • こいコイ来い鯉恋のはなし

          ゴールデンウイークにこの記事を書きました。 子供の頃のおじいちゃんとの思い出を文章に 残そう、それだけの気持ちで書きました。 ところがです。 コメントをくださったみなさまの 体験談など読ませていただくうちいつしか その感覚、感触を味わいたい! と切望、熱望する気持ちがメラメラと 湧き上がってきたのです。 いったい何をそんなに熱望しはじめたかと いいますと・・・ 鯉に指を食べさせたい!! 鯉に指をスポンと食べてもらいたい! 子どもの頃、おじいちゃんが池の鯉に食べさ

        • 固定された記事

        たかこそうそうと申します(^^♪

          わたしの残したいもの

          ずっとずっと昔、昭和の時代、 小学生だった頃、 学校の帰り道、 友だちと別れてひとりになると していたことがありました。 毎日していたわけではないのですが、 時折していたのです。 次の電信柱まで行ったら、生まれ変わろう! 次の電信柱まで行ったら、いいこになろう! いいこになろう いいこになろう いいこになろう そう頭の中で、こころの中でつぶやきながら 歩くのです。 いいこってどんなことを目指していたのかと 思い返しますと いつもにこにこしていること だった

          わたしの残したいもの

          母を想う⑭おとうさん、すごいよ!

          亡くなった母の大好きだった人のことを以前に書きました。 さだ まさしさんです。 出勤前にいつものように父のところに寄りました。 月命日の朝でした。 いつものように朝の情報番組をつけながら、 朝食を食べる父。 その日、紹介されていたのは、日本画家の 東山 魁夷さんでした。 さだまさしと同様に母の大好きだった人です。 「東山魁夷美術館、何回も行ったなあ」 父がつぶやきます。 県境を越えて行くその美術館は思い立って すぐに行ける場所ではありません。 それでも毎年のように行

          母を想う⑭おとうさん、すごいよ!

          母を想う⑬保健室のベッド、瞼に浮かぶはおかあさん

          わたしが小学生だった頃は、毎年きっちり 8月31日までが夏休みでした。 そして、8月31日は母の誕生日。 そう、夏休み最後の日。 父は、「いくぞ~!」と近所にあったレストラン へ連れて行ってくれました。 母への誕生日のプレゼントです。 それは、夏休み最後のお楽しみでもありました。 おかあさんが8月31日生まれで良かったなあ、 なんて思ったものです。 そして、翌日、9月1日は始業式。 わたしの通う小学校はマンモス小学校でした。 全校生徒が集まると体育館には入りきれません。

          母を想う⑬保健室のベッド、瞼に浮かぶはおかあさん

          いるよね!いるんだよ!!そう思ったんだよ・・・

          「目覚ましが鳴らなかったんだよ~~!」 慌てて飛び起き、あわあわあわ・・・ セットしたはずの目覚まし時計が鳴らないこと、 ときど~きあるのです。 あとから見ると目覚ましの針はセットした 時間よりもずっと遅い時間を指しています。 そりゃあ、鳴らないよね、 でも、 なんで?? 「なんでこんな時間に鳴るの!!  気持ちよく眠っていたのに~~」 セットした時間とはまるで違う時間に 張り切って鳴ってくれること、 ときど~きあるのです。 もう一度眠り、目覚めたときに確認する

          いるよね!いるんだよ!!そう思ったんだよ・・・

          いっしょに仕事ができたらいいね、ってキミが言ったから・・・

          ずっとずっと前、 デートを重ねていたころ、 カレはときどき言いました。 「いっしょに仕事ができたらいいね」 初めてのデートでカレが見せてくれたのは、 カレが書いた西洋書道と言われる カリグラフィーの作品でした。 きれい! 目がハートになりました。 何が書いてあるのか尋ねると ビリージョエルの『素顔のままで』 の歌詞でした。 そのままのキミがすきだよ、と 言われているのかしら・・・ 自分本位の思い込みで また目がハートになりました。 すきな花を聞かれました。 「マー

          いっしょに仕事ができたらいいね、ってキミが言ったから・・・

          出会う人、また出逢う人

          短大を卒業し、最初に勤務したのは幼稚園でした。 そこで同じクラスを受け持ち、ご指導頂いたのは 4歳年上の先生。 かれこれ30年以上、年賀状のやりとりを 続けています。 お互い、近況の写真をおりこんだ1年の様子が よくわかる年賀状でしたので、会っていなくても 存在を感じあえる関係ではあったと思います。 1年に1度のやりとりでしたが、ずっとずっと わたしのこころの片隅にいる、そんな存在でした。 また会いたいなあ・・・ ずっとずっと忘れられない存在でした。 ゆったりと穏やかな雰

          出会う人、また出逢う人

          名前を呼ぶよ 名前を呼んでよ

          子育て支援の広場でお仕事しています。 エプロンのポケットのあたりにひっそりと フルネームを書いたちいさな名札をつけて います。 「せんせい」と呼ばれることはありますが、 名前を呼ばれることは、ほとんどありません。 保育園でお仕事しているときは、 「○○〇せんせい」と連呼(!?)されて いましたが・・・。 わたしの名前、知らないだろうなあ・・・ 先日、よく遊びに来てくれていたママから、 「引っ越すことになったんです。」 と報告がありました。 そして、7ヵ月の子の手を私の

          名前を呼ぶよ 名前を呼んでよ

          「老人と海」じゃなくて、「おじいちゃんと鯉」のはなし

          母方の祖父は、わたしが小学校3年生のときに 亡くなりました。 あれは年長さんだったのかなあ、 小学校に行っていたのかなあ、 そんな頃の祖父との思い出です。 おじいちゃんは、口数の少ない人でした。 わたしはおじいちゃんに連れられ よく散歩に行ったことを覚えています。 大人の足なら10分くらいのところに自動車 学校がありました。 そこには、池があって、大きな錦鯉がたくさん 泳いでいました。 「さかな、見に行くか?」 おじいちゃんは私を誘います。 行かない、という選択肢

          「老人と海」じゃなくて、「おじいちゃんと鯉」のはなし

          おばあちゃんが褒めてくれるから

          わたしが子どもだったとき、隣はおばあちゃんの 家でした。おじいちゃんもいましたが、 ❛おばあちゃんち❜ と呼んでいました。 あるあるですね! わたしが赤ちゃんだったころ、母は仕事をしてい て、日昼は、おばあちゃんが見てくれたそうです。 とってもよく眠るいいこだったそうです。 「たかこそうそうはいいこだ」 いつもおばあちゃんは、わたしのことを褒めて くれたそうです。 母が言っていました。 「だって、夜は起きているのですもの」 おばあちゃんちは、お店屋さんでした。 ノ

          おばあちゃんが褒めてくれるから

          おとなが大好きな子になりました!

          子育て支援の広場でお仕事しています。 保育園でお仕事していたときは、3月は卒園式が ありますので、別れと旅立ちの季節でした。 子育て支援センターでお仕事するようになり、 ここにも出会いと別れがあることを知りました。 リピーターの多い広場です。 初めての利用の方には、 「待っていましたよ」 と、あなたに会えて嬉しいです、の気持ちを 伝えています。 2回目の方には、 「また会えて嬉しいです」 と、再度、遊びにきてくれたことへの感謝を 伝えています。 3回目以降の方

          おとなが大好きな子になりました!

          いいところ いいところ、そう言い続けた彼女とわたしの物語

          子育て支援の広場でお仕事しています。 自分よりも20歳若い人とお仕事しています。 今、改めて年齢差を思い返し、驚いています。 いつのまにか同級生と過ごすような氣持ちで 毎日を過ごしていたことに氣づきました。 それほどに彼女との日々が心地良かったと いうことでしょう。 わたしはこの街で生まれ、この街で育ちました。 別の街に住んだこともありましたが、その後また この街に住み、子育てをしてきました。 彼女は別の街で生まれ、別の街で育ちました。 仕事をするようになり、この街で

          いいところ いいところ、そう言い続けた彼女とわたしの物語

          母を想う⑫なんでもあるよ・・・のかばん

          明治のチェルシーの製造が終わることを知りました。 はっと想い出がよみがえりました。 電車に乗って遠くのデパートにお出かけ。 子どもの頃のわくわく特別な日。 1時間以上、揺られていたと思います。 父は長い買い物に付き合うのが苦手でしたので、 女子だけで出かけていました。 隣町の駅を過ぎるころだったのかな、と 思います。 「なめる?」 と、かばんから出てくるのは、決まって チェルシーでした。 家にいるときには出てこない特別なあめでした。 お出かけ用のあめでした。 「箱に

          母を想う⑫なんでもあるよ・・・のかばん