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たかこ先生のレッスン徒然日記vol.9

更新がかなり滞ってしまいました!
久しぶりの投稿です(*^^*)


幼い子供には大人が想像する以上に「出来ないこと」が沢山あります。
「理解できないこと」も沢山。
その一つ一つ大人の言うまま鵜呑みにせず、納得しないと前に進めなかったのがたかこ先生でした。
厄介な子供でした(笑)

ピアノでもその傾向は大いに発揮されます。
楽譜が読めなかった(読まなかった)ので
耳を頼り、鍵盤上をどのようにして指を運べば耳で聞いたようになるのか、ひたすら考えて弾いていました。

楽譜を読まなかったというのは、ドレミを知らなかったわけではありません。
音楽を「ドレミ」で感じることが難しく、頭の中に流れる音に合わせてピアノを弾いた方が楽でした。
音程さえ分かれば、それが「ラララ~♪」でも「ルルル~♪」でも一向に構わなかった。

今大人になり、様々な勉強をして思うことは、
こういう感覚も大事ですが、音楽の意味をより深く知る上で「読譜力」はとても大切です。
「勘」で全てが理解できるほど、楽譜も音楽も浅くない。
そのことを身に染みるように感じることになるのはもっともっと先の話になります。

幼かった たかこ先生は「楽しい!」もうそれだけで十分でした。
おそらく当時のピアノの先生もそこを無理やり変えようとはしてなかったように思います。
母もレッスンに付き添いしていなかったことを考えると、それなりにレッスンとして成立するくらいには自分で弾いてしまっていたのかもしれません。

「恐ろしい録音機」
私が受けていた音楽教育には、ある程度進むと「卒業テープ」というのがあり、課題になってる曲を録音するというシステムがありました。
(どんな教育を受けていたかピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんが、そこは敢えて言及しないでお話を進めたいと思います)

演奏を録音する分には「録音機」を眺めないで済むので問題なかったのですが、
演奏する前に自分の名前と演奏する曲目を言わなければなりませんでした。

これが、マズかった。。

「お話をする」ということは、
独り言を言うか、
「誰かにお話する」ことだと思っていた幼稚園児たかこ先生。
『録音機に話しかける』という行為の意味が分からない。。
「だ、だれにお喋りしてるのっっっ!?」

生まれて初めての録音は、自己紹介の段階で大号泣で録音できませんでした。。

録音したものを聞き直して、さらに大号泣。
「なんで喋った声が聞こえるの?!それもとてつもなく変な声!!!!」

正直、録音されてる自分のピアノの演奏より
録音機から聞こえてくる自分の声が恐ろしくて仕方がなかった。
以来、今でも自分の声はあまり好きになれません(笑)

お喋りするとあの録音機から聞こえた声が、みんなにも聞こえてるのかと思うと、
なんとなく喋るのを躊躇うようになってしまいました。
私の言ったことでみんなが笑うと「もしかしたら声がおかしくて笑ってるのかな」と余計な心配をしたり、、、

その頃から少しずつ内向的な面も現れるようになってきました。
ピアノを弾くということが喋ることの代用になっていったような気がします。

どんな風に聞こえているのか、自分の弾く行為でどんな音が出ているのか
今にして思うと、他者を意識する耳を作る始まりだったように思います。

つくづく、、、厄介な子供でした(笑)

お読みくださってありがとうございます!
しばらく滞ってても気長にお待ちください。
よろしくお願いいたします(*^^*)/

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