トマス・ミュンツァーと「千年王国」
トマス・ミュンツァーはルターの宗教改革に最初、参加していた。しかし、次第に神秘主義的傾向を強く持つようになり、熱狂的な「千年王国説」に傾くようになり、ルターが世俗世界の領主層の前に屈するようになるやいなや、ルターを批判し、純粋にキリスト教徒として生きるためには「幼児洗礼」を否定し、成人してから「再洗礼」を受けさせるべきだと主張する。
1525年、中部ドイツのミュールハウゼンでの農民反乱の先頭に立ち、一時は領主側に勝利したこともあったが、結局、叛乱に敗れ、処刑されて終わった。
ルターは、このミュンツァーを狂人扱いし、農民叛乱を否定し、領主側についた。
後世、トマス・ミュンツァーは「階級なき社会」の実現を目指した革命家として高く評価されることになる。その反面、ルター派を領主側に着いた保守派として遇するようになる。事実、ドイツにおけるルター派は、長くドイツ保守派の信仰のよりどころとなってきている。