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僕は、他人との認識の違いに驚くことが多々あります。「えっ、そうなん?」みたいな感じで、めっちゃ驚きます。「えーーーー、それ知らないの?」とか「ええええええ、今どきそんなこと言っちゃうの?」とかです。

特に、僕の職場なんかでは顕著です。田舎の役所は旧態依然がデフォルトですし、女性がお茶くみ、みんなの茶碗洗いがデフォルトです。ちなみに僕は、一人だけ全部自分でやってます。

さておき、認識の違いに驚かされますが、だからといって、絶望してはいけないし、「自分が間違っているんだ」なんて思ってはいけません、一番大切なのは【あなたがどう感じているか】であると思います。

そして、他人がどう感じたのかを、背景もすべて含めて認識することだと思います。認識はするが、判断しないことも大切です。つまり、認識の違いに驚き、認識をアップデートする、それ以上でも以下でもないな、と思います。

古谷実先生について

少し前にひょんなことから古谷実先生の作品についてPodcastで話したのですが、聞いてくれた方との認識の違いというか、好みの違いに驚きました。

というのは、僕は『グリーンヒル』という作品が一番好きなのですが、古谷実先生のファンの中にも『グリーンヒル』を推していない人がいらっしゃっることを知りました。

さらに、僕の中であまり良いなとは思えない『わにとかげぎす』という作品についても、一番好きだという人も居て、それぞれ認識というか、好みが違うなーと実感しています。

だからこそ、『グリーンヒル』も『わにとかげぎす』も、もう一度読み返したいなと思います。認識のアップデートが行われるかもしれませんし、アップデートしつつも、自分の好みを再認識することになるかもしれません。

それは、僕の楽しみであるし、僕の中で価値があることだと思います。

認識が違う=デフォ

話を戻すと、同じ認識のもとで生きていると勘違いしている人が割と多くいるような気がします。それには色々な理由があって「変わっている人だと思われたくない」とかいう思いを持っていたり、それを誰にもアウトプットせずに隠していたりとか、

セロリみたいに育ってきた環境が違うからだとか、そもそも他者とコミュニケーションを取らないとか、いろいろな原因があります。

さらには、認識の違いについて議論する場や共有する場がなければ、「みんなが同じ認識のもとで暮らしている」と勘違いしてしまいがちです。そして、田舎の街では多くの人がそのようにして暮らしているような気がします。

大切なのは自分がどう感じているか

僕は自分の感情に敏感に生きています。嬉しいとか、テンション上がるとか、テンション下がるとか、色々なことに影響されます。そうして気づくのは、感情がパフォーマンスに大きく関わっているということです。

認識の違いは、僕の感情を良くもするし、悪くもします。新しい気付きがあれば良くなりますし、旧態依然の認識は僕を落ち込ませます。出来るなら、ずっと良い感情で過ごせる場所ににずっと居たいですよね。

それを踏まえると、感情がなければ、どんなところで、何をやっても、パフォーマンスは発揮できるような気がします。でも、それは、ディストピアの話のような気がします。

なので、自分が「どう感じているか」を認識することは、とても大切だと僕は思っています。正直、善悪についても、倫理についても、自分が「どう感じているか」には、勝てません。

つまり、一般的に「善し」とされていることについて、自分は「悪し」と感じていたら、到底「善し」とは思えないということです。

「どう感じているか」をアップデートしよう、リベラルアーツで

アートや文学や哲学には「自分がどう感じているか」をアップデートする力があると思います。さらに、アートなのか、文学なのか、哲学なのか、は人によって違ってくるなあと思います。

色々なものは「自分がどう感じているか」をアップデートするために存在していると僕は感じています。だから、あらゆる表現物との出会いは大切です。

人が「どう感じているか」をアップデートさせることは、商品やサービスを売る上でのキャッチコピーの一つの目的であるのかもしれません。優れたコピーライターは恐ろしいなあ、と僕はいつも感じています。

長くなりました。それでは「自分がどう感じているか」をアップデートするために、漫画を読もうと思います。いつも読んで頂いてありがとうございます。また読んでください。

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