だいたい言葉が足りていない、あるいは多すぎる、もしくは・・・という話。part1
こんにちは、タカキです。人とのトラブルの原因のほとんどはコミュニケーションのトラブルだと思っています。
旧約聖書に登場する『バベルの塔』は、天にも届くほど高い塔を作ろうとする人間を見た神様が怒って、彼ら彼女らの言葉をバラバラにしたことによって、心がバラバラになって、塔が崩れてしまった、みたいな話です。
この『バベルの塔』は実現不可能なことの比喩であることと同時に、コミュニケーションの大切さを伝える話でもあると思っています。
僕が感じ取っているこの話の教訓は、
お互いの目的や夢を共有するには言葉が大切である。しかし、誰しもお互いの目的や夢を簡単に共有できないことから、同じ言葉を話す人達の間であっても、言葉が通じ合わないことはあり得る。
ということです。
そして、多くの人はこのことに共感してくれると思います。
多くの人は、自分の言葉が伝わらなかったり、伝えたことを相手が勘違いしてしまったり、そもそも言葉でどう伝えるべきかわからなかったりしています。
「わかる」「自分も同じ経験をした」「同じように苦しんでいる」
そんな風に感じてくれる人が目に浮かびます。
つまり、『バベルの塔』の示す教訓は人間の真理なのではないかと思うのです。
言葉によって、お互いを理解し、目的や夢を共有することは簡単なことでありません。
だからこそ、『バベルの塔』は、教訓として、「コミュニケーションは難しいのだ」ということを、すべての人類(キリスト教信者)に教えてくれていると、僕は思うのです。
コミュニケーションが取れない原因はいくつもあります。
最近僕がコミュニケーションを取る際に注意しているのは、
①教養のグラデーション(語彙や前提知識)
②相手が独善的かどうか(認識の問題)
③相手の感情(怒ったり悲しんだりしていないか)
この3つです。
これらはコミュニケーションを弊害する要因です。
そして、これらはまさに今、社会の分断を招いている要因でもあると、僕は考えています。
例えば、教養のグラデーションについて。
「あの人はものを知らない」
「稚拙だ」
「言葉が通じない」
などと言う人がいます。教養にはグラデーションがあるという前提に立てば、それは当たり前のことです。
しかし、このような不満を言う人は「理解できない相手が悪い」と思いがちです。
ですので、教養のグラデーションによる分断を止めることはとても難しいことだと思います。
ここまで書いてこの記事を思い出しました。
伝説の記事ですね。また続きを書きたいと思います。とりあえず、今日はここまで。