生活環境が変わる、変わらなければいけない、変える

新年早々、大阪市此花区の家を引き払うことを決断。理由は、大家さんがその家を他の人に貸したそうということと、ここでは福祉施設をするための物件が見つかりにくそうだと見切りをつけたこと、実際諦めろと今になって言われたし、秋口から年末?まで我が家に住んだシェアメイトと異言語ということもありディスコミュニケーションが重なりある日たけし文化センターから帰宅するとその人は既に出て行っていたりして、この後この家でハウスシェアリングする気にもなれず、たぶんぼくはシェアにつくづく向いていない、ルールとか他者の顔色を気にしすぎてしまうところとか家事能力の発揮にムラがあるとか、市内にしては広くそして広さの割に安い家賃も、京都やたけし文化センターにレジデンス(滞在)する身としては、空家賃を払い続けることも前向きな気持ちになれないなっていう。そこからの行動は我ながら早かった。現在、某所で交渉中の広さでいうとこの家の約3倍弱の物件、福祉転用可能かどうかは制度的にもまだわからないところがある、の存在があるからということも、その交渉がいつ終わるのか合意できるのかもわからないため、そこに一旦賭けてみようと。たけし文化センターに滞在してからというもの、いくつもの「家」を見てきた。持っていた。此花、神楽坂、福知山、古屋、安曇川、実家・祖母宅、清水五条、ぼくはどこに住み、出張しているんだろう。会いたいときに会いにいけば、それでいいのかな。どっしりと家で構えて、家のことだけをしていたい。不動産屋を好きになりたい。お金というものがこわいのかもしれないな。世の中には星の数ほどある空き家、空き地。どうにもぼくは縁がないと必然を感じない性分だ。恋愛も仕事も。生活が苦手で、だから訓練のようにも活動をしてきた。理想郷は言葉で伝えられないから自らプロトタイプをつくっていっしょに考えてもらって近づけていっている。今度つくる場所は期間を定めず、いつかは終わりがくるけれど、腰を据えたい。最後の長い仕事になりそうだ。「センター(中心)が空洞じゃないとまわらない」とゆーこさんが教えてくれたから。