2019.12.14「ところで住むってなあに」
住む、それはgoo辞書によると、
"す・む【住む/×棲む/×栖む】 の解説
[動マ五(四)]
1 家や場所をきめて、常にそこで生活する。居住する。「空気のよい所に―・みたい」「―・む家もない」
2 ある領域に身を置く。生きている。「我々とは別世界に―・んでいる人」
3 (棲む)動物が巣を作って、その中で生活する。生息する。「水辺に―・む鳥」
4 (妻問婚 (つまどいこん) が行われていた時代に)男が夫として女の家に通う。
「越前守の思ひて時々―・みける」〈落窪・三〉
[可能]すめる"
とのこと。
掛川で某現場があって4、5年ぶりにふらっと「たけし文化センター連尺町」に見学に訪れたことにより突然「住む」ことをレッツ主に理事長に依頼され、そのことによって、それまでに決まっていたスケジュールとの都合で自宅のある大阪と浜松の往復をする暮らしが始まったわけだが、(1)の「(自ら)きめて」とか「常に」はこの取り組み上当てはまらない。だけれども、それは「実は家が2軒あり、または浜松をベースとして不定期な長期出張のある仕事を抱える人」という設定で、月の半分もそこにいないけれども「住む」という状態をつくれているのかもしれないと考えることができる。(2)においては、領域ということだからぼくの現在的な肩書きは置いておきながら(アーティストと扱ってもらえることは多い)、これまでも(そしてこれからも希望としては)「福祉」分野(業界?)に身を置いている期間が長いため、福祉事業を行う認定NPO法人クリエイティブサポートレッツが行うこの事業の上で「生きている」と捉えうる。ちょっと抽象的かな。(3)は人間も動物だから、ここをひとつの「巣」として、巣だからこその悩みが発生しているんじゃないかって大げさにも感じることがある。もし、土地に価値付けが起こっていなければ「家」というより、巣で解決される現在の諸問題もありそうだし、だけど巣だったら常に外敵の存在を意識せざるを得ないわけで大変。そうなんだけれども「家」は巣的であったりする。不動の存在ではなく、いつだって脅かされうるものと考えることは十分にできるし、やっぱり巣要素はある(大家さんに個人的にはよくわからない理由で出ていけって言われたりとか?)。(4)はちょっとわからないけれど、大阪から通っているわけで、それも住むって言えるならもう住んでいるよな、と。今回は、ありがたいことに「住む」ことが「仕事」になっていて、交通費や滞在費は助成金でまかなってもらえている。そんな不思議な状態。「住む」も不確かなのに、いることに価値がついている。もしかしからもっともっと潜在的な「仕事さ(価値)」を孕んでいるかもしれないこの領域に身を置きながら、考える時間がどんと与えられている。
2019.12.14 タカハシ 'タカカーン' セイジ、引き続き白ワインを傍に置きながら。