12.28-12.29
前の場所だったときに知った。
きっかけはアサダさんの活動を調べていたから。
中之島4117というところに友人に誘われいっしょにふらっと入って、音楽と美術に関しての相談事業をしていて思わず予約したことからはじまるアサダさんとの出会いと障害福祉というフィールドにおける表現活動のサポートという仕事道。
ミュージシャンだけれど、住み開きと名付けたり、当時のぼくにはまったく謎の活動をされていて、その謎を解明するために主にウェブ上の情報を探索していると、どうやら大阪にはアーツパーク構想とか芸術文化の取り組みなどいろんな歴史があって、リアルタイムに知っていてもおかしくなかったのにまったく知らなくて、後追いで補完していった。余談だけれど、今の今まで、今年くらいまで行政から直接バックアップしてもらったことは京都市に移るまでなかったのではないかな。それも、京都に移ってみたくなった動機のひとつで、やっぱり個人での活動の続けにくさや継承の難しさ、というか、ブーストのチャンスになるのではとか、支援されるってどんな感じなんだろうと身をもって知りたかったからだ。
ココルームには最近よく来るようになった。
それは、テンギョウさんがいるということが大きい。そして、ココルームのことは何年も前から知っていたけれど、もちろん何度か足を運んだけれど、避けていた。それは、まだまだ定まらない自分が影響を受けてオリジナリティを失う、つまりココルームみたいな場所をつくってしまうのではないか、と。でも、そんなオリジナルがどうとかいうわけではなく、ココルームは唯一無二なのだけれど、ココルームがほかにもあってよいと思う。素敵な場所はたくさんあっていい。コンビニみたいなシステム的なチェーンじゃなくて、でもコンビニでも人情あるとこにはあるし無機質でもいいとは思うけれど、人からはじまる場所みたいなものを結局のところやりたいぼくは、ココルームにめちゃ影響うけたっていいし、なんだか訪ねる度、胸がすくのは、ほっといてくれる肯定感がそこにあるからだと思う。ほかにもいろいろあるのだろけど。
うちを掃除してもらったあと、夕飯と銭湯と散歩を。そして、假奈代さんと神田さんを乗せて高速道路を走り釜ヶ崎へ。それだけじゃなく、餅付きに参加したかったから前泊した。朝方まで話し込んで、すこっと眠りに落ち、お昼ご飯を食べてコーヒーを飲んだらはじまった。日没、だんだんひっそりと続いていたけれど、友人宅に行くためにおいとました。お土産にお餅をもらった。