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【小説】光の三分間と声と言葉の青春⑪「玉くしげ 二上山に なく鳥は」

前回

 毎年六月末になると、俺たち特進コースの一年生全員は二泊三日の勉強合宿を行う。勉強合宿といっても、三日間ずっと屋内に引きこもって通常授業を受けるわけではなかった。国語、数学、理科、社会、英語の各教科ごとにそれぞれ研究テーマとミッションが与えられ、タイムスケジュールに従って、合宿所の中と外で特別授業を受けるのだ。

 今年の合宿所は高校近くの二上青少年の家だった。
 一目見た感想は「とんでもないところに来たな」だった。ところどころ改築の跡が見受けられるが、コンクリートと木造が入り混じった建物には、方々に漆の蔦が絡みつき、母屋と離れた別館のガラスが割れた部分から見たことない量の草が侵入している。
 もしかするとここは心霊スポットで、夜中に山で命を落とした女の幽霊が出るんじゃないかと思った。

 バスのトランクからリョウヘイと刻まれたギターケースを持ち出すと、何人かの生徒は物珍しそうにこちらを見た。

 バスから降りてすぐ、俺たちは八人ごとに割り当てられた宿泊部屋に通され、荷物を置いた。ここは宿泊用の八人部屋が十五部屋ある二階建ての宿泊施設で、食堂に大浴場、百五十人収容可能な大講義室に、小会議室まで備わっていた。
 内装は昭和末期に建てられた旅館で、赤茶色のカーペットは掃除はされているが、ところどころ年季が入り、哀愁を感じさせた。
 そして荷物を置くとすぐに、俺たちは合宿所裏手にある山道の入り口に集められた。
 集合場所には、五十人もの生徒と引率の教員が集まっていた。宿泊所職員の簡単な挨拶と学年代表生徒の宣誓があり、合宿が始まった。
 学年代表の中島が、朗々と宣誓文を読み上げた。

 この三日間は、一組二組合同の授業を行う。屋外に集められた俺たちは、到着早々、二上山の山道を一周するフィールドワークをすることになった。
 最初の教科は社会だった。合宿所がある二上山は、奈良時代に大伴家持が高岡に国司として来たときに、歌を詠んだことで知られる場所だ。

“玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり”
“二上の をてもこのもに 網さして 我が待つ鷹を 夢に告げつも”

 この二首は、万葉集にも載っている。特に上の句は小学校のころ、“万葉カルタ”が必修だったので、競技を頑張っているうちに覚えてしまった。
 先生の説明によると、どうやらフィールドワークの目的は二上山を回る途中で家持公の足跡に触れ、奈良時代の国司がどのようなことを考えていたのかを学ぼうということらしかった。

 山道にはモミジやクヌギの木が生い茂り、歩いているうちに何度か蜘蛛の巣にかかった。家持の歌に出てくる“鳥”は、ホトトギスのことだと言われているが、どこを探してもホトトギスの姿も声もなかった。代わりに、ウグイスの鳴き声が山の中に響いていた。
 落葉樹林の根本には、イワタバコやウバユリ、ネムノキなどが群生していた。急斜面を曲がりくねりながら続く舗装された山道は、木々の間から電波塔が顔を覗かせており、奈良時代の風情もあったもんじゃなかった。

 俺の班は男子三人、女子三人の一組二組合同チームだった。俺以外の一組は全員女子で、男は俺以外、女は三人で固まって楽しそうに歩いていた。これなら、適当にフィールドワークを抜け出して、合宿所でギターでも弾いていればよかったと思った。

 フィールドワークから帰るころには、あたり一帯が夕闇に染まっていた。最後の班の後ろからは、山道の途中に待機していた引率の先生が、山道で転んだ生徒を背負って下りてきていた。

 合宿所に戻って高校指定のジャージに着替えた後、夕食の時間になった。
 夕食は、ごはん、ハンバーグ、ゴボウのきんぴらと豆腐の揚げびたし、山菜の和え物と、大根の味噌汁だった。
 食事は宿泊部屋のメンバーで集まって摂った。ご飯はおひつから自由によそって食べるシステムらしく、なくなると食堂のおばちゃんのところに取りに行けば何度でもお替りできた。俺の班はガタイがでかい男ばかりだったので、いっぱい食べろとおばちゃんの方から替えのおひつを持ってきてくれた。ご飯は三杯お替りした。

 夕食が終わると、生徒全員合宿所の外に呼び出された。一日目の最後は、理科のフィールドワークで、天体観測を行うことになった。
 山道に入らなければ、合宿所のどこでも観測可能だった。昼間回った班ごとに行動する予定だったが、しばらく様子を見ていると、次第に班は解体され、生徒は仲のいい人同士で固まって、思い思いに動いていた。中には男女二人で合宿所裏手の茂みに入っていくカップルも見受けられる。
 先生も特に気にすることなく、合宿所から離れて危なそうな生徒だけ、気づき次第嗜める程度だった。

 俺はそっとみんなから離れて合宿所に戻った後、二階のテラス席に腰かけ、部屋から取ってきた愛機《ギター》のギー子を片手に、星降る夜にララバイを捧げることにした。

 合宿所はエントランス以外の電気が消えていた。もちろん、この辺りには合宿所以外に人の明かりが灯る場所は存在しなかった。
 あたり一面は真っ暗だ。茂みからは鈴虫やカエルの声が聞こえ、時たま風に乗って生徒たちの笑い声が聞こえた。

 明かりとは、人類の明かりである。明かりが発明されてから、人は暗闇に怯えることはなくなった。しかし、明かりが消えたとき、暗闇の中では恐怖が生まれる。明かりが発明される前の人類は、どんな生活をしていたのだろうか。それこそ、大伴家持の時代は。
 生温かい風が頬をなでる。俺は後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかった。そこには、静寂な暗闇の中に、非常口の緑色のランプが光っているだけだった。

 だが、明かりがないおかげで気づけることもある。俺は、空を見上げた。
 頭上には天の川がはっきりと見えた。

「いい、夜だ」
 俺は愛機のギー子の調律を済ませ、さっそく一曲奏で始めた。
 特にこれといって弾きたい曲もなかったが、自分の感性を信じて、ギー子が吐き出す心地いリズムを探る。
 演奏は、セックスだった。愛する人と体を重ね合わせ、互いの心と心をユニゾンする。お互いが一つになって気持ちいい旋律を奏でるひとつなぎの儀式。なるほど、全く一緒だった。星空の下の野外ライブに、今夜のギー子も濡れている。

「リョウヘイ、またこんなところにいたのか」
 気持ちよく演奏をしていたところに、後ろから突然声が掛けられた。思わず、大声を出して、椅子からこけそうになる。
 誰だ。俺とギー子の逢瀬を邪魔する輩は。もしかして、音色が先生を惹き寄せてしまったのか。見つかったら没収される。やばい。隠さないと。
 恐る恐る振り返ると、そこにいたのは中島だった。

「一人で弾いてて楽しい?」
 中島はにやけ顔してこちらを見下ろしている。どうやら、俺の反応から、中島を先生だと勘違いしたのを悟ったのだろう。笑いをこらえて肩を震わせていた。
「中島こそ、学年主席がこんなところで駄弁ってていいのかよ」
 俺はそう言って中島の手元に目を落とす。両手にはビール缶が握られていた。
「いいんだよ。息抜き息抜き。みんな自由にやってるし、どうせ見つからない」
 中島は俺にビールを投げて寄こした。
「しかも、未成年飲酒とか、見つかったら停学だろ? 生徒指導室行きになっても知らねえぞ?」
「あっはは、リョウヘイに言われた。大丈夫。それ、ノンアルコールだから」
 中島は気分よく笑うと、ビール缶のプルタブを開けた。気泡がはじける爽快な音とともに、あたりに発酵臭が広がる。

「で、何の用?」
 俺は中島から渡されたビールを開け、一気にあおった。アルコールが一切入っていないのに、目の奥が熱くなってきた気がした。
「いや、折角だし少ししゃべりたくなってさ」
 そう言うと、中島はポケットから三本目の缶を取り出した。
 足元の夜道を、懐中電灯を持った先生が歩いて行った。

次回

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