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【小説】光の三分間と声と言葉の青春③「無気力ラッパー」

前回

 二限目の英語が終わり、中休みの十分間で、三階の教室から一階の食堂までダッシュする。百円のわかめおにぎりと、二百円の唐揚げを買って、教室で早飯をするのが僕の日課になっていた。

「十円貸してよ」
「頼むよ、今度返すからさ」
 階段下につくと、頭一つ分高いガタイのいい運動部の二人に絡まれる。
   僕はよく知らない人に道を聞かれる。もしかしたら困っている人が話しかけやすい顔でもしているのかもしれない。
 しかし、ミニマリストの僕は、人間関係も必要最低限に絞っているので、厄介な他人と関わるのは億劫でごめん被りたい。しかし、困ったことに声が出ない。日常的に人と話さない弊害だった。愛想笑いを返して食堂へ逃げようとしたが、すでにヤンキーに肩を掴まれている。観念して財布を取り出し、ヤンキーの手に十円を置いた。すると、後ろから誰かに背中を叩かれた。

「鷹岡じゃん」
 中学時代の同級生のヤスダだった。相変わらず夏前なのに焼けた肌をしている。
「あれ、ヤス子の知り合い?」
 階段裏の空きスペースから仲間のヤンキーたちがぞろぞろと出てきた。ヤスダはビジネスコースだったはず。高校卒業後は進学せずに地元で就職したい生徒が集まるコースだ。
「おう! 鷹岡って特進だろ? 中学でも頭良かったよな」
 ヤスダの言葉で、ヤンキーの目が僕を少しだけ見直した雰囲気に変わる。クラスの落ちこぼれがしばらく聞けていなかった“頭がいい”という評価に、僕の崩れかけた自尊心が回復し、ほくそ笑んだ一方で、彼女たちに嘘をついているような申し訳なさが芽生えた。
 それにしても、なぜヤスダがビジネスコースなのか。順位表を見ていても、中学時代のヤスダは成績が悪くなかったはず。特進とはいかなくても、進学コースくらいなら十分やっていけると思った。理由を聞くと、勉強したくなかったから。と答えが返ってきた。

「ヤスダってスケバン? 煙草、体に悪いからやめたほうがいいよ」
「先生にチクんなよ? 鷹岡もオタク頑張れ?」
 僕はオタクではないのでやんわりと否定すると、ヤスダがまた背中を叩いてきた。地味に力が強い。
 しかし、痛かったけど嫌いではなかった。ヤスダがしょうがない自分を認めてくれている気がして、胸が熱くなった。
 それにしても、むさくるしい男の中に紅一点のヤスダがいるのは何だかオタサーの姫を想起させるが、そんなことを言ったら呆れた目で見られるか、より強くぶん殴られそうなので黙っておく。よく見ると、ヤンキーの中には柔道の推薦枠で体育コースに入った特待生や、看護コースのガラ悪い連中が後ろに控えている。
 特進コースではありえないが、入学早々に問題を起こして停学になった輩もいると聞く。コイツラも、そいつの仲間だろうか。
 ともあれ流石二上ふたがみ高校、私立らしい人種の坩堝るつぼ。上は医者志望から下はヤンキーまで。まるで人生の縮図だ。

 ヤスダたちは、階段下でラップと称した愚痴の叫び合いをしていた。
 ラップといえば、赤い帽子を逆向きに被ったBボーイがマイク片手に日頃の鬱憤や知り合いへの感謝を叫んでいる姿が思い浮かぶ。感謝を乱射、まさに反社みたいな。
「クソ教師うぜーとか、高校めんどくせーとか、自分の思ってることを吐き出すんだ」
 僕は愚痴が好きじゃない。言ったところで現状は変わらないし、言ったら言った分だけ虚しさを覚えるからだ。
「愚痴でも何でも、溜めてたら体に良くないだろ?」
 空きスペースの隅に設置された簀の子の上では、今まさに、体育館あたりからくすねたのだろうマイク片手に下ネタを交えながら彼女に対する愛を叫んでいるヤンキーがいる。
 彼らは人前で自分をさらけ出して恥ずかしくないのだろうか。

 僕が興味深そうに覗いているのに気付いたヤスダが僕の手を引っ張り、ラップを披露し終えたヤンキーがマイクを渡してきた。持ち手に巻かれた“備品”と書かれた銀テープが剥がれそうになっているのがやけに気になった。
「ラップなんてやったこと……痛っ」
 ヤスダに背中を強く叩かれる。
 僕がしぶしぶ簀の子の上に乗ると、観客から「よっ、優等生!」とヤジが飛ぶ。みんな、僕がどんなラップを打つのか、面白いものを見る眼差しでこちらに視線を向けている。こめかみに汗が伝う。

 マイクのスイッチを入れる。そして大きく息を吸い、力いっぱい叫ぶ。
「僕は優等生じゃない! 実は落ちこぼれ、赤点に涙こぼれ!」
 最初の一言が出てくるまでに数秒かかったが、一度出してしまえば、次々と言葉が思い浮かんだ。
「英語の平井は毎日課題、やるのはしんどい、まさに難題」
 ラップの打ち方は分からなかったが、とりあえず韻を踏んでおけばいいと思い、それっぽく言葉を紡ぐ。
「モチベ下がるもん強制すんな! 誰がやるかよジャバラバを!」
「おお! 言ったれ言ったれ!」
「ギャハハ!」
 僕が思いのほかまじめにラップに取り組んだため、ヤンキーたちのテンションも段々とあがっていき、面白がって手を叩き始めた。
「出された課題は即、断固拒否! ジャバラバ空に飛ぶ紙ヒコーキ!」
 ヤンキーたちの拍手と同時に授業開始のチャイムが鳴る。時間だ。
「また来いよ」
 僕はマイクをヤスダに返し、彼女たちに一礼して階段を上がる。しかし、急いでいたために前を見ておらず、二階に向かう踊り場で誰かにぶつかった。
 平井だった。もしかして、ラップも聞かれてた?
 鬼の形相をした平井に、思わずつばを飲む。
 僕は目をそらしたまま何度か頭を下げ、逃げるように階段を駆け上った。


次回

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