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使わないと分からない訳だよの巻(未来から昔への)

Nikonとキャノンはそもそもライバルという世界観。
周りの余計な視線とか、立ち位置なども含め
あらゆる写真、もしくはカメラの世界を知って、知り尽くしている人もそう思っているけど
結局のところ、単にNikonを好きな人たちとキャノンを好きな人たちというだけなのではないか?と
思っているのは、デジタルになってからであって、フイルムのときには明らかな違いがありました

もちろん、セールス力、政治力、資金力など多くのソースがその昔二大メーカと言われた、Nikonと
キャノンに注がれたと思う。
Nikonは多くの機器群をNASAの宇宙計画にも採用されているし、

NASA仕様「ニコンF3」がスペースシャトル「コロンビア号」に搭載
ここには、NikonのNASAとの関わりが記述されている、F3だけではなく
アポロ15号に「ニコンフォトミックFTN」が搭載されるなどがある(恐らくこのベース機器はF2フォトミックFTN)

キャノンは1970年代のオリンピックにて公式のサプライヤーとして多くの人々が目にすることになる
所謂キャノンの白、望遠レンズが白い鏡胴となっていて、遠くからでもキャノンを使っていると分かります、これは熱対策と言われているのですが、そういう価値があるならばNikonも必ず鏡胴を白にしているはずで、僕個人はセールスのためかなと思っています

そもそも初めてカメラを手にした時から、確かな触感を持つNikonに魅せられ、その結果の一枚一枚に何の足し算も引き算もない、写したそのものが写り、記録と記憶が一致する映像、それがNikonだと僕自身は思っていますし、これからもNikonを支持する人々たちの、Nikonへの視線だと思うのです
やはり、キャノンは衆知というものを理解し、それは事務機器をてがけていたという背景もあって
キャノンマーケティングという言い方で、それらのプロダクトを語られていたのも事実
それは、アナログ、つまりフイルムの時に蓄積され、ほぼデジタルになった今完全に、キャノンの存亡を間違いのない選択に導いたのでは無いか?と思います
キャノンを好いているひとが余り道具としての思い入れのある、インプレッションなりを見たこともないし、自分もかつて、フイルムのEOSシリーズには感動もしましたが、そのあとはやはりNikonへと
戻りました、なんだろう、道具としての機器を手にした瞬間の納得感がNikonにはある
そして、それはマーケティングを超えた、何かを宿そうとしているNikonの開発陣の思想も見える

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