
Photo by
soranochihiro
分かっていたつもり、だったこと
この記事でファインダについて諸々書いているのだが やはり視力とか年齢とか
いろいろが発生して カラダの状態とか変化でどうしてもカメラに負ける
ある意味カメラ様についていけなくなり優しいカメラはどこにあるのかとやりだすわけで
優しさを備えた優秀なやつなんて人間界にもそんなに居ないのに どうして限られている
カメラ様にそれを期待するのだろう ファインダへの注力こそ多くのカメラメーカーの見解を
聞いてみたいものである
よい写真を残すためには やはり自分の感性とか体力とか視力とか 総じて相性なるものが
マストであり それがゆえの人気だったりするわけで
無論カメラの真価はファインダのみならず解像力とか色再現性とか バッテリの強力さとか
重さとか そのカメラの重心が良くてハンドリングしやすいとか 操作性とか
カメラマンでもないし 写真に対しただただ長く関わってきて その中で必然カメラとレンズと
そのまわりの三脚だとかスピードライト(フラッシュ)補助灯とか レフ板とか諸々の写真とカメラにまつわるものにいろいろな印象と考えを併せ持ってきた結果 多くの感性と相性があることが実感できている
どんなに誰か有名な写真家 カメラとか写真を語らせると納得に値する論をもつ評論家も
結果 万人のそういった相性には解答できないと思うのである